imagesDISX8E1H
妖しい黄金色 (2)2015.03.04

「ベルサイユは光と影という感じ。ロマノフはおとぎの国。」そう言った妻の言葉に、なるほどそのとおりと感じました。ただ、「現物を見ると、ロマノフは薄っぺらく感じるんじゃないか。」僕はそう言いました。しかしそれは、ほとんど同じ事を言っていたのですが...

僕は「金色」は決して嫌いではありません。昔わざわざ画集まで買ったクリムトや、琳派の画、黒漆の中の金蒔絵等々。金色には底光りする妖しい魅力を感じてしまいます。銀色にはない妖しさです。

金蒔絵や金屏風の美しさは日本家屋の暗がりにあってこそ引き立つと、「陰影礼賛」の中には書かれています。暗がりの蝋燭の光に妖しく底光りする「金色」こそが、その色の最高の瞬間だと言っているようです。現代にその暗闇はありません。ただ、暗闇の中でなくともクリムトや蒔絵の「金色」に、僕は「妖しさ」を感じてしまいます。そこに何か魅力を感じてしまうのです。

しかし、本物は見ていませんが、陽光の中に光り輝く「ロマノフ」も、光と影を感じる「ベルサイユ」にも、同じような「妖しさ」は感じられません。おそらく、「金」の使われ方に「間」のようなものが感じられないからでしょう。ベルサイユには、埋め尽くされた物質の中に、バロック独特の「影」を感じる事はできますが、「間」は感じられないのです。

「間」は建築、絵画に限らず、日本の芸術全般に渡り、それと西洋とを対比するのに大変重要な概念です。何でも「間」に結び付けてしまうのは安直な気もしますが、あながち間違いでない気もします。

クリムトの金色に輝く装飾のような絵画が、性的なエロティシズムを表現しようとしていたにせよ、そこから発する「妖しさ」はその事だけでは説明できません。日本の工芸や絵画に影響された「金」の使われ方にも、大きく関係していると思われるのです.....

TO

1181125538[1]
妖しい黄金色 (1)2015.03.01

金はもちろん、金色を建築に使う事はほとんどありません。真鍮の金物や目地棒をデザインの重要な要素として取り入れた事は過去にありますが、今はほとんどなくなりました。

昨日、NHKのロマノフ王朝秘宝伝説という番組で、黄金色に輝く大空間が映し出されていました。金箔を全面に施されたその大広間は、金色と白色に輝く煌びやかな光の空間でした。「きれい。ベルサイユ宮殿よりずっときれいじゃない?」妻が僕に聞きました。「こんな建築を男性はどう思うのか、美しいと思うのか?」アルコールが入っていたせいもあるでしょうが、少し雑な質問に、すぐには答えられませんでした。「このロマノフの宮殿に対する一般的な男と女の美意識の違い」なのか。「ベルサイユとロマノフの違い」なのか。はたまた「一般的な装飾過多な建築について」なのか。「黄金色に輝くこのロマノフの宮殿について」なのか。様々な側面から論じる事があり、すぐには口を開けなかったのです。

一般的に装飾過多な建築は男より女性の方が好きな人が多いでしょうし、黄金色に輝く建築(装飾品)もそうでしょう。僕もヨーロッパへ建築を見にいった時は、パリへは行ってもベルサイユへは足も運んでいません。他に見たい物がたくさんあったのです。ただ、他の多くのバロック建築にも感動しましたし、ゴシックやアールヌーボー、ガウディの建築にも大きく心を動かされました。装飾豊かな建築も好きなものは好きなのです。ただ、一言に装飾といっても、その種類や範囲は膨大です。語り出せば際限がありません。

「金」についてだけ、思いを綴ってみます.....

TO

image
本物 (後編)2015.02.27

「ソリッド」なものが僕は好きなようです。表面だけでなく中身まで詰まっている、その感覚が好きなのでしょう。そして、その表面にまとわりつくいくつかの意味の衣を脱ぎ捨て、その物そのものが現れてくる感じが好きなのです。

「裸形の素材」 こんな言い方をするかはわかりませんが、そんな言い方がしっくりきます。昔「もの派」の作家が好きだったのもそのためでしょう。朽ちた鉄、版築の断面、コンクリートの切断面、長い年月を経て素材そのものに戻りかけている古道具等々。これらに魅力を感じてしまうのも、そのためでしょう。「裸形の素材」の持つその純粋性に惹かれるのです。もちろん、古道具等はそのプリミティブなデザインが大きな魅力の要因でもありますが....

「本物」であれ「偽物」であれ、素材は「建築」を構成する重要な要素のひとつです。建築家はその強度、防水性、耐熱性、耐久性等々、様々な性能を考慮して材料を決定していきます。ただ、そこに「好み」が存在するのも事実です。僕が「本物の素材」が好きなのは、経年変化が美しいという事もひとつの要因かもしれません。ずっと美しさを保つ素材はもちろんですが、長い年月とともに美しく朽ちていく、そんな姿にも魅力を感じてしまうのです。

TO

 

image
本物 (前編)2015.02.24

本物の素材。僕はたまにそんな事を言います。

何が「本物」の素材なのか。別に公に決まってもいませんし、僕自身もきちっと定義している訳でもありません。ただたまにそう言ってしまいます。

無垢の木や金属、石、漆喰、ガラス、コンクリート等々。それらが僕にとっては「本物」の素材です。「本物」があるなら「偽物」もあるはずですが、そんなふうには言っていません。でも、それらを模したプリント合板やリノリウム、クロス、樹脂系の素材等は僕にとっては「偽物」です。金属の厚い無垢板はもちろん本物ですが、木目調のトタンは「偽物」、薄いガルバリウム鋼板はその中間といったところでしょうか。

自分自身が何をもって「本物」と言っているのか。オリジナルが「本物」で、それを模したものが「偽物」。もちろんそれが大きな要因でしょう。でも決してそれだけではない気がします。レンガ積みを模したレンガタイル張り、じゅらくの土壁を模した今のじゅらく塗り、石を模したテラゾーブロックや漆喰の磨き仕上げも「本物」という気がします。コーリアン等の人造大理石も大理石風のメラミンに比べれば「本物」に近い気がします。表面の仕上げが厚い素材が、僕に「本物」という感覚を与えるようです.....

写真は5ミリの鉄板の切れ端です。すこし黒皮になりかけた表面に、ウレタン塗装がしてあります。

TO

4歳
息子の誕生日2015.02.20

昨日は息子の4歳の誕生日でした。

午後、いつもより早めに帰ってきた息子とおじいちゃん、おばあちゃん、皆で「お誕生日」を祝いました。去年の誕生日は誰よりも早くケーキを平らげた息子が、今年はケーキそっちのけで、プレゼントに夢中になって遊んでいます。「成長したのか?それとも、去年と違ったケーキがおいしくなかったのか?」そんな事を思いつつ、車でひとり関へ向かいました。夕方から仕事の打合せが入っていたのです。以前住宅を設計したクライアントが運営する老人施設の改装の仕事で、スタッフも交えたミーティングです。

経営者、職員、双方からの様々な意見をお聞きし、議論を深めていきましたが、その日は時間切れとなってしまいました。次回の打合せ日を決めて、ミーティングは終了です。車椅子や歩行器の中を利用者の老人の方々を思い浮かべながら、玄関ホールへと向かいました。そして、玄関から外へ出た時です。「こんばんは。」と大きな声が聞こえました。どきっとして、僕も思わず、「こんばんは。」と大きな声で返しました。見ると、小学校中学年ぐらいの男の子がこちらへ歩いてきます。「ごくろうさま。」とすれ違いざまに言って、玄関の中へ入っていきました。「職員の方の息子さんかな?」などと思いつつ、ここの施設のスタッフがいつも大きな声でこちらに挨拶するのを思い出しました。

「うちの息子もあんな風に素直に育ってくれるかな。」そんな事を思いながら、帰路につきました。

幅広い年齢層の人の事を思う、そんな一日でした。

TO

01_fukao_0014
土地探し  8     崖 (後編)2015.02.15

敷地全体が崖、こんな土地でも住宅は建築可能です。ただ、この場合は膨大なコストが掛かる事もあります。以前、斜度40度程の崖地での住宅建築の試算をした事がありますが、1000万円近いコストアップになりました。もちろん崖の高さや勾配、隣地や周辺道路との関係等によって、その金額は大きく変わってきますが、このような土地は特に注意が必要です。購入前には必ず専門家のアドバイスを受けた方がよいでしょう。

崖のような特殊な土地は崖崩れ等のリスクやコストアップ等のデメリットがあります。ただ、そこにそれらを超えるものを見出すことができれば、買う価値も生まれてくるでしょう。

写真はFO邸です。

TO

01_yamauti_ 561
土地探し  7     崖 (前編)2015.02.11

高台の見晴らしの良い土地は大変魅力的です。

ただ、崖に近い土地は崖条例により、建設可能な土地の範囲が規制される事があります。一般に崖条例と呼ばれているのは、各自治体が独自に定める建築条例の中にある、崖付近の建築物への規制です。自治体によってその内容は微妙に違いますが、崖上の建物では、崖からのセットバックの値等が定められています。2M以内の低い崖や、法律上問題のない擁壁や岩盤等の緩和項目等も決められています。

愛知県で建てたYU邸では、崖下から崖の高さの2倍のセットバックが必要でしたので、ほぼ5Mの崖に対し10,5Mのセットバックをしました。岐阜のFO邸では、崖の中心線から崖高さのほぼ10Mをセットバックしています。ただ、いずれの場合も建物を建設した部分は平らな土地でしたので、建設コストがさほど高くなる事はありませんでした。そして、建築出来ない崖に近い部分は庭やウッドデッキ等で有効利用しましたので、土地も無駄にはなっていません。このように崖からセットバックしても、建築可能な平らな部分がある敷地であれば、他に問題がなければ、大変魅力的な敷地といえるでしょう。もちろん、住宅のプランニングによって、その土地の特性が十分生かせるかどうかは大きく変わると思いますが.....

写真はYU邸です。

TO

 

01_kimura_170
土地探し  6     お隣 (後編)2015.02.07

そして、既に隣家が建っていれば、その形や窓等の位置を考慮して、計画をする事ができます。僕は常に周囲の隣家やその窓の位置を実測し、それから計画を始めます。KM邸では設計依頼の時、東西に細長い敷地のすぐ南は更地でした。幸い、そこに住宅の建設が決まったので、その建物の計画が決まるのを待ち、それを教えてもらってからこちらの設計を行いました。でももし、それが決まっていなければ、将来建つであろう建物を推測して設計する事になったのです。

未だ建っていない隣家は大きな不確定要素であり、リスクでもあります。ただ、既に建っていれば、より良い対処方法を見つける事も出来、それをプラスの要素に変える事も可能なのです。

写真はKM邸の東側正面です。すぐ南側にお隣が建っています。

TO

⑤地中美術館
土地探し  5     お隣 (前編)2015.02.05

お隣が建っていないので、明るく広々として見渡しが良い。

でも、そんな土地は家が建つと、すぐその良さは消えてしまいます。

市街地に土地を探すのであれば、隣が更地というのは避けた方がよいかもしれません。もちろん、何らかの理由で将来的に何も建たないというのなら話は別ですが、そうでなければ、むしろ家が建っている方がお勧めです。

何といっても防犯に有利ですし、境界に隣の塀がある場合は、こちらで作る必要がないかもしれません。外構工事もやり方によって、結構費用が掛かりますので、その分ローコストに抑える事も可能です。

そして、隣家があれば、隣人がわかります。何かちょっと一声掛ければ、ある程度その人柄もわかるでしょう。更地ではどんな人が隣人になるか、まったくわからないのです。隣人とはずっと付き合っていく事になるのですから、結構重要な問題です。

また、隣家によって外から見えなければ、その部分の外観を気にする必要もありません。外壁の素材をローコストなものにする事もできますし、外から見える窓の大きさや位置を気にする必要もありません。瀬戸内の直島に安藤忠雄の地中美術館という有名な建物がありますが、その内部空間は秀逸です。数ある安藤作品の中でも僕が特に好きな作品です。これは地下建築のため外観を考えず、光の入れ方や空間構成等、全て内部のみを考えて、理想的な空間を創る事が出来たからではないかと思っています。隣家に隠れる窓の話に大建築家の美術館を引き合いに出すのは、大変恐れ多い事ですが...

TO

image
節分2015.02.03

  本日は節分ですね。子どもが幼稚園で作った鬼のお面と折り紙で折った豆の袋を嬉々として持って帰ってきました。

赤ちゃんの時は、父が手作りした鬼のお面を怖がってギャン泣きしていた我が子。今年はなんと自ら鬼役を買って出てくれました。寒くて暗ーい部屋の外から小鬼が『がおー!がおー!』と迫ってきます。部屋の中から『鬼は外ー!』と豆を投げつける父母・・・なんだかアベコベな気がしますが、本人が喜んでいるなら、まぁいいですよね。

 先日も年少児達がダルマさん転んだで遊んだ時、ほとんどの子ども達が鬼をやりたがるという事がありました。成長過程の一つなのでしょうか。親の思いと違うと面食らう事もありますが、良い意味で裏切ってもらいたいです。

YO

夕陽
土地探し  4     借景 (後編)2015.02.01

望むべき借景がなければ中庭を造り、空を借景として切り取る事も可能です。どんな土地でもすばらしい家を創る事は出来るでしょう。ただ、川、山林、公園、遠い街並みの眺望等々、将来的に変わらないすばらしい借景が望める土地は、その方向が南であれ北であれ、最初から得難い宝を備えていると言っていいでしょう。その方向に建物を開く事により、そこからの光や風、眺望を得る事ができるのです。そして、借景には草むしりの手間も固定資産税も要りません。維持費は掛からないのです。もちろん、そこに手を加える権利もありませんが…

すばらしい借景を持った土地はなかなかありません。得難い宝はなかなか得難いのです。ただ、これから土地を探すのであれば、「借景」の事も頭の片隅に入れておいたらいかがでしょうか。

写真は僕の自邸の3階から見た夕焼けです。遠くに見える山は伊吹山です。屋上へ登ると長良川も見えます。

TO

image
土地探し  3     借景 (前編)2015.01.30

僕が考える理想的な土地は、すばらしい借景が望める土地です。

本来、外の景色を庭園内の重要な要素として取り込む時に、その景色を借景と言いますが、僕は庭に限らず建築空間をより豊かにする敷地外の景色は、全て借景と呼びたいと思います。遠くに見える景色はもちろんですが、隣家の隙間から見える樹木、境界に立つお隣の土塀、そんなものも僕にとっては借景になり得ます。それらの景色をうまく空間に取り込める、つまり、借りてこられれば、僕にとっては借景なのです。もちろん、それをどう空間に取り込むか、これによってその生かされ方は大きく違ってきます。まさに建築家の腕の見せ所でしょう。

写真は借景で有名な京都の円通寺の庭園です。生垣の彼方に比叡山が見えます。

TO

 

 

 

 

石(縦)
森のようちえん 1月2015.01.25

 息子と森のようちえんに行ってきました。

前回来たのは11月の秋。その時には赤や青色の実や色とりどりの葉っぱもあって、森の賑わいを感じましたが、冬の森はひっそりとしています。

 ふと我が子を見ると、自分の頭程ある大きさの石を転がして一生懸命に運んでいます。どうやらテーブル大の石の上にさらに石を積みたいみたいなのですが、重くて持ち上げる事ができません。見兼ねた一人のお友達が手伝ってくれましたが、それでも持ち上がりません。どうやって問題解決していくのかなと遠巻きに観察していると、『手伝ってー!』と大きな声で助けを呼んでいます。声を聞きつけたお友達が加わって、年少男児3名で持ち上げる事に。一生懸命にヨイショ、ヨイショと持ち上げますが、やはり持ち上がりません。

3人でも持ち上がらないとわかると、途中で放り出して別の遊びをしてみたり、でも気になるのかもう一度チャレンジしようという気運が3人の中で高まり、再び持ち上げる事に。

『地球平和のためにコードをつなげるんだ!』『石を置くと繋がるんだ!』と使命感に燃えています、大人的、女子的には???です。

最後はちょっとだけ手を貸しましたが、ようやく石の上に石がのると歓喜の声があがりました。『これで繋がったー!』 テーブル大の石の上に頭大の3つの石が置かれました。(何かの儀式みたい・・・)

途中、別のお友達に石を落とされそうになるというハプニングに見舞われましたが、やり遂げた子ども達の顔は自信に溢れていました。子ども達の小さな社会を垣間見て、成長を感じつつも可笑しくて笑ってしまいました。

YO

 

 

 

表現の自由2015.01.21

様々な暗い事件、衝撃的な事件が起きています。色々な思いが沸き起こってきます。それらを語れば,際限がありません。ただ、「表現」に関わる事ですので、この事だけには触れておきたいと思います。

先週、シャルリエブドへのテロで多くの人々が亡くなりました。そして、再び掲載された風刺画に対し世界中で抗議のデモが起き、再び人命が失われました。

テロは残虐非道、言語道断です。「表現の自由」はテロに屈しない。多くの人々がそう叫びました。テロ対表現の自由、この構図になれば誰もが「表現の自由」を応援するでしょう。ただ、「表現の自由」の名の下に、ムハンマドの風刺画を掲載する事自体には、イスラム教徒はもとより、ローマ法王を含めた多くのキリスト教徒の間からも非難の声が上がっています。そして、僕も掲載自体には疑問を感じています。

「表現の自由」 この言葉が使われる時、この言葉には二つの側面があると、僕は思います。

一つは、信教や思想、言論の自由等とともに各個人が生まれながらに持っている根源的な権利。

そして、二つ目は新聞等のマスメディアが持つ権利。これは「報道の自由」と言った方が適当かもしれません。これら二つは明確に分離できるものではありませんが、それ故、二つの側面が曖昧に論じられる事が多い気がします。

二つ目の「報道の自由」という権利は、独裁国家や戦中の日本の報道管制等を考えてみれば、それがいかに大事であるかは疑いようのない事実です。そして、その権利 (もしくは使命)は現代の日本においても完全ではなく、それを守るために不断の努力も必要です。ただ、それはあくまで人民の権利や幸福を守るために必要な力であり、「報道の自由」それ自身のための力ではありません。この言葉をマスメディアの関係者が使う時、それが最上の価値であるかのように、僕には聞こえてしまう事があるのですが、この力は手段であり、目的ではないのです。それ以上に大事なものがある事を忘れてはいけません。

独裁国家等で、その権力に立ち向かい「報道の自由」を守る事は、それにより多くの人民の幸福や生命を守る事に繋がっていきます。ただ、今回の風刺画の掲載はそれとは少し違います。それを守る事により得られるものと失うもの、そして、掲載を自らの考えで止める事により失うものと得られるもの。それが権力に抗する「報道の自由」の場合とは、少し違うと思うのです。

また、新聞社に属する一個人、一個人が根本的に持つ「表現の自由」という権利を考えてみても、それが無制限に許される訳ではありません。フランス法の中にも、「表現の自由」においても差別や侮蔑は許されない、という規範があるようですし、ナチス関係やテロへのシンパシー等も厳しく規制されているようです。それでは、今回のムハンマドの風刺画が許される範囲であったかどうか。それはなかなか難しい問題です。西洋的な価値観に依るかイスラムの価値観に依るか、それに依って大きく違ってきます。ただ、多くの(しかし弱者である)自国のイスラム教徒が不快感を抱き、多くの国民が不適切と考える今回の風刺画が、はたして許される範囲であったかどうか、僕には疑問です。

長い歴史の中で「表現の自由」を勝ち取ってきたフランス人のエスプリは、日本人にはなかなか理解出来ないものかもしれません。ましてや、テロを受けた出版社の人達の怒りは計り知れないものでしょう。ただ、この負の連鎖を続けていって、失うものの大きさと得られるものとを、冷静に比較する必要があるのではないでしょうか。

TO

image
インターステラーと2001年宇宙の旅2015.01.18

「上映も今週で終わり。」そう聞いて、遅ればせながら「インターステラー」を見てきました。「2001年宇宙の旅」も彷彿とさせる。そう友人から勧められたSF映画です。

3時間近い長い映画でしたが、映像やストーリは完成度が高く、その長さをまったく感じさせませんでした。まさにクリストファー・ノーラン監督の真骨頂といったところでしょう。そして、様々なところに「2001年」を彷彿とさせるところもありました。ただ、「2001年」とはまったく違う、そう感じました。

どこが違うと感じるのか?  見終わってから色々と思いをめぐらしました。  「2001年」と違い格調がない、芸術性を感じない,深い余韻が残らない等々......

何故そう感じるのか?   また考えました。   映像に「間」がない、展開に強弱、いや濃い薄いがない......

びっしりと詰まった内容には余白(間)がなく、それはまるで細密画、もしくは日本画に対する西洋画。そんな埋め尽くされた映像の中に「間」のようなものが感じられないのです。これは娯楽性の高い多くのハリウッド映画が持つ特性のようにも思います。

「2001年」も含めキューブリックの映画の中には瞬間的に凍りつくような映像が組み込まれ、思わずその中に引きずり込まれ、見終わった後に深い余韻のようなものが残ります。もちろん、「2001年」は原作者のアーサー・C・クラークも不満だった程、大変難解な作りになっているため、後に不思議な余韻が残るのも当然だと思います。ただ、それだけではありません。注意深く考えられた象徴的な1カット1カットの構図、そしてそれらを繋ぐ手法や背景の音楽、その中に人を惹きつける不思議な「間」のようなものが生まれてくる。そんな感じがするのです。キューブリックがカメラマン出身だったということもそれに関係しているのかもしれません。自己の表現を極めるためハリウッドを去り、自身の作品の他国でのポスターから吹き替えまでチェックしたという完璧主義者のキューブリックが、自身の美意識を極めるため、その映像の1カット1カットにどれだけ神経を遣ったか、それは容易に想像できます。クリストファー・ノーランの作品が質の高いエンターテイメントなら、キューブリックの作品は上質な映像芸術。そういうのは言い過ぎでしょうか。

まあ全て素人の勝手な思いですので、お聞き流しください。

ちなみに、数多くのSF映画で僕がおもしろかったものを思い出してみると、「2001年」以外では「エイリアン」「ブレードランナー」、他には、、、、、未知との遭遇、スターウオーズ、アビス、アバター、2010年、アポロ13、遊星からの物体X ,サンシャイン、宇宙戦争....インターステラーももちろん入ります。他にもまだまだありますが、ほとんどハリウッド映画でした。

お金の掛かった娯楽映画は、やはり、おもしろいです。

TO

                                                                       

                                                                                                                             

 

image
土地探し  2      予算2015.01.14

土地にどれだけのお金を掛けるか?

土地、建物、外構、家具、税金、登記、引越し等々。これらの総予算の中から土地だけにいくら掛けるか、これはなかなか悩ましい問題です。建築家としては、土地は出来るだけ安く購入し、その分建物にお金を掛けてほしい,そう言いたいところです。

それなら、どんな土地なら安く手に入るのでしょうか。いびつな土地、傾斜地、崖地、狭小地等々。これらは通常のハウスメーカーでは建てづらかったり、外構等に余分な費用が掛かったりして、一般の人からは敬遠されがちです。でもそんな土地でも建築家に頼めば、多くの場合お値打ちにすばらしい家を作る事が可能です。そして、そんな土地は通常より安く手に入ります。

僕の土地も購入当時、坪単価は周辺の半額以下でした。岐阜新聞の不動産広告に「長良川沿い、50坪、450万円、資材置き場向き。」 そんな物件を見つけ、小躍りして土地を見に行きました。その土地は底辺50M高さ8Mの細長い三角形の土地。しかも、上下水道や電柱もなく、公道にも接しず、境界も決まっていませんでした。隣の墓地を整備するため、区画整理した時に出来た余剰地だったのです。「こんな土地は止めたほうがいい。」そんな周囲の意見も聞かず、とにかく長良川沿いに家を建てたい、そんな思いで僕は関係する役所等を訪ねて歩きました。そして、上下水道が引ける事、みなし道路に接道という事で、住宅が建築可能である事を確認したのです。それから測量士に依頼して、周辺部の方々に立ち会ってもらい、境界確定と測量を行いました。そして、格安の土地を手に入れたのです。広告に出ていた450万円という価格は結局900万円になってしまいましたが、それでも単価は周辺の半分以下でした。

土地を購入する時にもうひとつ大事な事は、当然ですが、はっきりと予算の上限を決めておく事です。僕も格安だったとはいえ、当初から二倍になった金額でも即決出来たのは、上限を1000万円と決めていたからです。売主との交渉になった時も、上限をはっきり決めていればスムーズに事を運べますし、気に入った土地を見つけた時は即決できます。「即決できずに良い土地を逃してしまった。」そんな残念な思いをされた方が僕の知り合いにも居られました。即決できる事は結構大事なのです。

そして、これも当然の事ですが、土地は坪単価でなく、土地の価格で選ぶべきです。坪単価が周りより安くてお値打ちだから、予算オーバーでも購入してしまうとか、逆に予算内で気に入った土地でも、坪単価が割高なので二の足を踏んでしまうのはナンセンスです。要は坪単価が周りより高かろうが安かろうが、予算の上限内で一番条件にあった土地を選べば良いのです。

今までのお話は、土地を購入して設計事務所に設計を依頼しよう、そう考える方への一般的なアドバイスです。ハウスメーカーや大工さん、そして小さな工務店に頼もうとしている方は、どんな建物でも建て易いオーソドックスな土地の方が良いでしょう。また、将来の売買等も視野に入れ、資産価値としても考える方は、周りの坪単価も気にした方が良いでしょう。そして、設計事務所に頼もうと考えている方も、崖地や狭小地等はその特殊性によってコストがかさみ、かえって損をする場合もありますので、十分注意が必要です。土地購入前には、設計事務所とよく相談した方が良いでしょう。

写真は僕の自邸の模型です。三角形の敷地の底辺はほぼ50mです。

TO

 

ビーズ
ビーズのワークショップ2015.01.07

冬休みが終わりそうな雨の日に息子とビーズのワークショップへ行ってきました。

2万個のビーズを雨のように降らせ、板で作った坂から下へ転がして、あっという間に部屋一面がビーズで埋め尽くされました。その量の多さたる事!家では出来ないような遊びに子ども達は夢中で取り組んでいました。

ビーズを手ですくってひたすらに坂から転がす子、お皿に山盛りにしたビーズを床にぶちまける子、投げる子、ビーズの上に寝そべって転がる子、様々です。もちろん親も一緒になって遊びます。

最後はビーズを全部集めて池を作り、船に見立てた箱に乗り込みビーズの上を滑りました。大人が思いっきり木箱を押すと、面白いように滑っていきます。その様子に子ども達は今か今かと列をなしながら待っています。そして秘密兵器の出現で親子一緒に乗れる事になり、私達親子もワクワクしながら列に並んで滑ってきました。

このワークショップを主催されている豊田利彦さんは積み木のワークショップもやられています。前回参加しましたが、親の方が夢中になります。

YO

 

image
元旦2015.01.03

新年あけましておめでとうございます。

岐阜は元旦からずっと雪景色です。

いつもは僕の実家の八王子で新年を迎えるのですが、今年はたった一人で「ゆく年来る年」を見て迎えました。
年末に息子が高熱を出し緊急入院、帰省を急遽取り止め、岐阜に留まる事になったのです。妻子は市民病院で年を越し、元旦に退院しました。

新年早々縁起が悪い?いやいや、新年早々息子の病気が治り退院したのですから、今年は良い年になるでしょう。

TO

一級建築士事務所 内川建築設計室 岐阜・愛知・三重を中心に夫婦で建築設計事務所を営んでいます。