妖しい黄金色 (2)

イメージ画像1

「ベルサイユは光と影という感じ。ロマノフはおとぎの国。」そう言った妻の言葉に、なるほどそのとおりと感じました。ただ、「現物を見ると、ロマノフは薄っぺらく感じるんじゃないか。」僕はそう言いました。しかしそれは、ほとんど同じ事を言っていたのですが...

僕は「金色」は決して嫌いではありません。昔わざわざ画集まで買ったクリムトや、琳派の画、黒漆の中の金蒔絵等々。金色には底光りする妖しい魅力を感じてしまいます。銀色にはない妖しさです。

金蒔絵や金屏風の美しさは日本家屋の暗がりにあってこそ引き立つと、「陰影礼賛」の中には書かれています。暗がりの蝋燭の光に妖しく底光りする「金色」こそが、その色の最高の瞬間だと言っているようです。現代にその暗闇はありません。ただ、暗闇の中でなくともクリムトや蒔絵の「金色」に、僕は「妖しさ」を感じてしまいます。そこに何か魅力を感じてしまうのです。

しかし、本物は見ていませんが、陽光の中に光り輝く「ロマノフ」も、光と影を感じる「ベルサイユ」にも、同じような「妖しさ」は感じられません。おそらく、「金」の使われ方に「間」のようなものが感じられないからでしょう。ベルサイユには、埋め尽くされた物質の中に、バロック独特の「影」を感じる事はできますが、「間」は感じられないのです。

「間」は建築、絵画に限らず、日本の芸術全般に渡り、それと西洋とを対比するのに大変重要な概念です。何でも「間」に結び付けてしまうのは安直な気もしますが、あながち間違いでない気もします。

クリムトの金色に輝く装飾のような絵画が、性的なエロティシズムを表現しようとしていたにせよ、そこから発する「妖しさ」はその事だけでは説明できません。日本の工芸や絵画に影響された「金」の使われ方にも、大きく関係していると思われるのです.....

TO