つー土

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「土」と聞くと、農作物に不可欠な土壌のことを思い浮かべる人が多いと思いますが、それは建築にとっても大変重要な素材のひとつです。

今の日本では、瓦やタイルそして左官材料の素材等として僅かに使われているだけですが、一昔前までは土壁として建築にとって大きな構成要素のひとつともなっていました。古い民家や倉庫でたまに見られるその存在感は郷愁とともに僕の心を震わせます。決して幼い頃に土壁への深い思い出がある訳ではないのですが、何故か懐かしさと温かさを感じてしまうのです。近所の山の土の洞くつで遊んだことや泥団子を作ったこと、そんな土への思い出とDNAに染込んだ土への本能的な愛着がそんな思いを起こさせるのかもしれません。

実際に建築において昔ながらの土壁を作ったことはありませんが、その雰囲気を追求したことはあります。事務所を開設する少し前、多治見に著名な陶芸家の工房を作った時のことです。当時は中国の窯洞・客家土楼、藤森照信の神長館、韓国民家、版築等々、土っぽいものに大変魅力を感じていた時でした。そのため、その工房でもデザインも含め土っぽさを追求したのです。ただ、昔ながらの土壁では水に弱く脆いため、その風合いに近い素材を使いましたが、それらの素材の主成分も土と同じ無機材料でした。現代の和室の壁などに塗る「じゅらく」と呼ばれているものは元来京都の聚楽第跡から採れる土のことを指していましたが、今では土壁っぽい仕上げ材の総称のようになっています。ただ、それらの中にも本物の色土が含まれていることがあります。このように、現代の日本でも本物の土が僅かながら壁の仕上げ材として生き残っているのです。ただ、それらはあくまで薄い仕上げ材であり、昔ながらの土壁のような分厚い壁そのものではありません。

土壁は確かにその表面的な風合いも大変魅力的です。ただ、僕が最も魅力を感じるのはそれが分厚くなり重量を増し、絶対的な存在感を得た時です。日本や韓国、チベットなどで見たそんな本物の土壁は大変魅力的なものでしたが、モロッコで見た土の壁は特に忘れることができません。十数年前に妻と二人でモロッコを旅した折、乾燥した岩と土の砂漠の中に忽然と現れた村々の建物は、それが建つ大地の色そのものでした。その土地で採った土で日干し煉瓦を作り、それがそのまま外壁になっているため建物が土地の色と全く同じなのです。それは大地がその形に隆起したか、大地が風に削られ建物が生まれ出でたのか、まるでそんな光景でした。建物はまさに大地と一体となっていたのです。

「土」に僕が魅力を感じるのは、その風合いやその存在感に対してだと思いますが、そこに大地を感じているのかもしれません。昔、関根伸夫というアーティストが地面に巨大な穴を穿ち、その横に穴と同寸の土の塊を置いた作品を作りましたが、その作品名も〈位相ー大地〉でした。土は大地そのもの、地球そのものを感じさせる素材なのです。僕が「土」に魅力を感じてしまうのは、そんなことも関係しているのかもしれません。

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