建物の寿命 (1)2015.06.26

先日、以前リノベーションを手掛けたお客さんが訪ねて来られました。「妻の実家を改装したいと思っています。また、こんなお話で申し訳ありませんが.....」ほんとうに少し申し訳なさそうにお話になるお客さんに、僕は即座にお答えしました。「もちろん、喜んでさせて頂きます。」

改築は新築に比べ遣り甲斐は確かにありますが、ほんとうは少し面倒な所もあります。でも、そんな事よりも、以前やったお客さんからの再依頼は喜びが2倍です。それは以前の仕事を評価してもらっている何よりの証だからです.....

ところで、最近は何故か改装の話ばかりが続いています。欧米に比べ圧倒的に新築率が高い日本も少しずつリノベーションが増えてくるであろう、以前からそう思っていました。ただ、その兆候がほんとうに感じられるようになってきました。

「日本の住宅の寿命は欧米に比べ圧倒的に短い。」そう言われてきました。「サイクル年数 日本30年、アメリカ103年、イギリス141年」「平均築年数 日本30年 アメリカ55年 イギリス77年」「住宅の減価償却耐用年数 RC47年、木造22年、鉄骨19~34年。」様々な数字が目に飛び込んできます。それらの値がどれだけ確かなものなのか、僕にはわかりません。ただ、欧米の住宅に比べ日本の住宅がかなり短命な事だけは確かなようです。「日本の住宅の寿命は30年、アメリカは100年。その差はシロアリ対策の違いです。」どこかでそんなシロアリ処理業者の広告を見た事もありますが、それはまっかな嘘でしょう。しかし、日本の住宅の平均寿命が短い事だけは真実なのです.....

TO

 

 

棟持柱 (3)2015.06.21

伊勢神宮の式年遷宮に関する行事に行った事はありませんが、以前、諏訪大社の御柱祭りを見に行った事があります。神社に建てる17mの巨大なご神木を運ぶその勇壮な祭りの迫力は圧巻でした。本来は神聖な祭りも今では皆が楽しむ「お祭り」となっています。それでも、それが営々と続いてきたその底には、神聖な「木」に対する深い思い入れがあった事は間違いないでしょう。

伊勢神宮の式年遷宮も同じです。持統帝以来1300年余り続くこの行事にも、清らかな檜の素木に対する深い思い入れを感じる事ができます。式年遷宮について三島由紀夫はその著書の中で、「オリジナルはその時点においてコピーにオリジナルの生命を託して滅びてゆき、コピー自体がオリジナルになるのである。」と述べています。建築家の磯崎新はそれを「始源のもどき」と呼び、「そこには常に始源の前に起源があるかの如き騙りがひそんでいる。起源が‘‘隠され’’ようとする。むしろ始源が起源を虚像のように浮かばせてしまうのだ。」と述べています。つまり、始源(最初の式年遷宮)の前に起源(日本的なる原型)があったと思わせる「罠」であると論じているのです。コピーをくり返す事でそれは朽ちる事なく永遠に行き続けると同時に、その起源もいくらでも昔に遡れるような錯覚を起こさせるのです。

こうして、神聖な社殿ははるか昔からの永遠の命を与えられたのです。そして、いつまでも朽ちぬ檜の棟持柱も未来永劫無垢で清らかなまま、神聖な存在として生き続けるのです。

TO

棟持柱 (2)2015.06.17

水平の棟木を支えるテントの支柱のような棟持柱は、室内の中心軸上にあるので、ちょっと邪魔です。そして、大きな建物を建てようとすれば、棟持柱はどんどん大きなものが必要になってきます。そのため、この棟持柱は建築の歴史から少しずつ消えていくのです。

しかし、神社建築などでは今もそれを見る事ができます。特に伊勢神宮の外部に飛び出した独立棟持柱は有名で、その存在感のある太い柱は大変魅力的です。このめずらしい特徴的な柱を持つ建築形式が何時どうして生まれたか、はっきりとした事はわかりません。独立棟持柱を持った弥生時代の高床式の穀倉がその原型だったとも言われています。穀倉は当然雨水を嫌いますので、妻側(屋根が三角に見える側)の屋根を大きく外に張り出すため棟木を延ばし、それを受ける独立棟持柱が必要になったのです。この穀倉を象徴的に模したのが伊勢神宮の原型と考えれば、めずらしいこの柱の存在もうなずけます。

ただ、伊勢神宮の太さ80センチの巨大な檜の柱は確保するのも大変ですが、運搬や施工も昔から大変な作業だったはずです。それを式年遷宮の度に営々と繰り返し続けた事実は、この柱に対する思いがいかに強かったかを物語っています。

太古の昔から木そのものをご神木として敬ってきた日本人にとって、この巨大な素木(しらき)の柱は中心に建つ神の依り代である心御柱(しんのみはしら)に匹敵するくらい、大変重要なものだったのかもしれません。

TO

 

棟持柱 (1)2015.06.13

国土の三分の二が森林の日本において、木造建築が昔からずっと主役だったのは当然の事といえるでしょう。

もし、数人の仲間で離れ小島に漂着し、そこで家を作る必要に迫られたとしたら.... 石を割って石斧を作り、木の幹や枝を伐採するでしょう。大き目の2本の木を垂直に地面に埋め込み、その上に出来るだけ真っ直ぐな木を水平に乗せ、細い枝を地面から斜めに掛けて、草や葉っぱで被って三角屋根を作る事でしょう。地面に埋め込む木は、枝分かれした部分を上端に使えばYの字になり、水平の木が据えやすくなります。固定には木の蔓などを使えばよいでしょう。少し広い空間を作りたいのなら、最初に床を掘り下げて、掘った土で廻りに小高い壁を作ればよいでしょう。そうすれば、雨水も防げそうです。

これは所謂縄文時代の竪穴式住居です。斜めの木が垂木、それを掛ける水平材が棟木、そして、それを受ける2本の掘っ立て柱が棟持柱と呼ばれています。実際の竪穴住居は穴の深さも様々で、2~3メートルの、まさに竪穴と呼ばれるのにふさわしいものまでありました。大きさも200㎡を超える巨大なものもあったようです。そして、立てられる柱も2本、3本、4本、5本...と様々です。

ただ、2本の棟持柱の形式が、一番プリミティブな家の原型をイメージさせてくれるのではないでしょうか。それはまるで草と木から出来たテントのようです。

TO

 

 

神社2015.06.08

日本建築の歴史は木造建築の歴史です。

木造といっても、何千年も昔の縄文時代は、教科書で習ったような素朴な縦穴式の住居でした。それが弥生時代に入ってから少しづつ家らしい高床式の住居が生まれてきます。そして、6世紀末に大陸から仏教建築が伝来し、それは徐々に和様と呼ばれる日本風の様式に変化していきます。その後も大陸からは新しい仏教建築が伝来し、寺院に限らず日本建築に大きな影響を与えていきます。実は神社建築も仏教建築の影響で、その様式を固定化していくのです。

昔から自然の木や石そのものを祭っていた日本の神道が、仏教寺院の影響で社殿を持つようになり、それとの差別化のため自らの様式を確立していくのです。屋根は瓦でなく茅を使い、壁は土壁でなく素木を使う。太古の昔からあると思われているそんな神社の様式は実は決して古くはなく、寺院建築との関係の中で自らのアイデンティティーを確立するために形成されてきたのです。銅版や瓦屋根、塗り壁の神社もその後作られるようになりますが、古くは「日本的」な素朴な自然素材を使っていたのです。

元来、日本の神道の対象は自然にある木や石で、それを神の依り代としてその「場」を敬ってきました。しかし、その「場」を囲う社殿そのものに無垢な自然素材を使い、それに日本人が敬虔な気持ちを抱いてしまうのは、ごく自然な事なのかもしれません。

TO

 

「木」について2015.06.02

「コンクリート」について書いていた時、「木」についても書かないと片手落ちだろう、そう思い始めました。

ただ何か書こうと思っても、なかなか書けません。書く事がないのかというと、そうではありません。むしろ多すぎて、どう書いていいかまとまらないのです。僕の本棚には学生時代に買った「日本建築史図集」という一冊の本があります。あたりまえといえばあたりまえですが、この本に載っているのは全て木造建築です。現代は別として、日本建築史は木造建築史でもあるのです。厖大な木造建築の歴史や木について、どう書いていいかなかなかまとまらないのです….

まあ、一般の方が多少は興味を持ってもらえるような「木造」や「木」に関する事を、思いついた時思いついたまま書き綴っていくしかなさそうです。あっちへ飛んだりこっちへ飛んだり、同じ事を繰り返したり、長期に休んだりと色々するかもしれませんが、何か思いついたら書いてみます。まとまりのある話は書けそうもありませんが、おもしろそうな話だったら、また読んでみてください。

TO

一級建築士事務所 内川建築設計室 岐阜・愛知・三重を中心に夫婦で建築設計事務所を営んでいます。