素朴なコンクリート (7)

「コンクリート打ち放し」といっても、実は他にも違った雰囲気のものがあります。

土木工事やハウスメーカーの基礎等でよく使われる鋼製型枠には「セパ穴」はありませんし、その表面の質感も違います。また、一昔前までの型枠は普通合板でしたので、ベニヤによっての色違いをおこしてマダラになったり、その表面も今のように滑らかではありませんでした。そして更に昔は合板ではなく、無垢の板がそのまま型枠として使われていました。そのため、板の表面がコンクリートに写り込み魅力的な質感を作っていたのです。今でもその質感に惹かれ、多くの建築家がそれを再現しています。

僕も無垢の杉板を型枠に使った事があります。確かにその質感はなかなか魅力的なものでした。ただ、何故かそこに「うそっぽさ」のようなものを感じてしまったのです。以前コルビュジェの集合住宅を見た時、その屋上で見た荒々しいコンクリートの塊の迫力に、しばらく見入ってしまった事があります。建築そのものの印象は残っていませんが、そのコンクリートの迫力は今でも記憶に残っています。そんな迫力が表面の美しさだけを求めた杉板の化粧型枠には、まったく感じられなかったのです。コンクリート打ち放しの魅力は、現場ごとに作られる構造体の存在感がそのまま表現される、その潔さにあります。表面にだけこだわるのは、コンクリートの本質的な美しさからかけ離れてしまう行為だったのかもしれません。

今までに多くのすばらしい建築に出会ってきました。そして、その中でもコンクリートの素材そのものが深く心に刻まれたものがいくつかあります。コルビュジェのロンシャン、ラ・トゥーレット、丹下健三の東京カテドラル、篠原一男の上原曲り道の家、安藤忠雄の地中美術館。これらの建物の中でコンクリートは、時に緩やかにうねり、原色を塗られ、天井からの光を浴び、白色と対比し、やさしい光に包まれ、自身の素材としての美しさをその内部から浮かびあがらせていました。それは土と石から出来た構造体が、その存在そのものを表出したからこそ発する美しさだったのでしょう。 

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