棟持柱 (3)

伊勢神宮の式年遷宮に関する行事に行った事はありませんが、以前、諏訪大社の御柱祭りを見に行った事があります。神社に建てる17mの巨大なご神木を運ぶその勇壮な祭りの迫力は圧巻でした。本来は神聖な祭りも今では皆が楽しむ「お祭り」となっています。それでも、それが営々と続いてきたその底には、神聖な「木」に対する深い思い入れがあった事は間違いないでしょう。

伊勢神宮の式年遷宮も同じです。持統帝以来1300年余り続くこの行事にも、清らかな檜の素木に対する深い思い入れを感じる事ができます。式年遷宮について三島由紀夫はその著書の中で、「オリジナルはその時点においてコピーにオリジナルの生命を託して滅びてゆき、コピー自体がオリジナルになるのである。」と述べています。建築家の磯崎新はそれを「始源のもどき」と呼び、「そこには常に始源の前に起源があるかの如き騙りがひそんでいる。起源が‘‘隠され’’ようとする。むしろ始源が起源を虚像のように浮かばせてしまうのだ。」と述べています。つまり、始源(最初の式年遷宮)の前に起源(日本的なる原型)があったと思わせる「罠」であると論じているのです。コピーをくり返す事でそれは朽ちる事なく永遠に行き続けると同時に、その起源もいくらでも昔に遡れるような錯覚を起こさせるのです。

こうして、神聖な社殿ははるか昔からの永遠の命を与えられたのです。そして、いつまでも朽ちぬ檜の棟持柱も未来永劫無垢で清らかなまま、神聖な存在として生き続けるのです。

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