昨日、ちょっとした機会に恵まれて奈良の唐招提寺に行ってきました。
唐招提寺は西暦759年に鑑真和上がこの地に戒院を開いた事に始まると伝えられています。鑑真が日本への渡航を何度も繰り返しては失敗し、最後は盲目の身となって日本にたどり着いた。この話は学校の教科書や「天平の甍」などで誰でも一度は聞いた事があるのではないでしょうか。ただ、この地でよくよくその話をかみ締めてみると、鑑真和上の鉄のような固い意志を改めて感じずにはいられませんでした。
鑑真が日本からの留学僧の願いに応え国禁である渡日を決意するのは50台半ば、既に彼の地で高僧としての地位を確立している時でした。それから10年にわたり5度の失敗を繰り返し、6度目にやっと日本にたどり着くわけです。その時鑑真は65歳。そして盲目の身になっていました。当時の65歳といえばかなりな高齢でしょう。そんな盲目になったばかりの高齢者が言葉も通じないような外国に、いつ沈むかもわからないような船に乗ってやって来たのです。仏教への強い信心がそうさせたのでしょうが、日本からの若い僧の願いに応えたその姿勢には、ほんとうに頭の下がる思いがします。
唐招提寺の奥には鑑真和上の御廟があります。そこへの庭、というより林と言った方が良いかもしれませんが、清々しく心が洗われます。そして、南大門から見える金堂の凛とした立ち姿は鑑真和上を髣髴とさせてくれます。急勾配の大きな屋根と8本のエンタシス列柱の吹き放しがその立ち姿を決定づけています。ただ、僕はここの石の基壇が一番好きです。表面の方形の錆御影石は少し粗く仕上げられ、華美を排した実直な感じは何とも言えぬ風合いを醸し出しています。それらが全て鑑真和上の立ち姿に見えてくるのです。
ただ、この金堂が建立されたのは鑑真の死後で、その後も大きな改修が行われてきたようです。高い屋根も創建当時は今より2m程低く、僕の好きな基壇の石材もずっと後世の元禄期のもののようです。それでも何故か、そこに鑑真和上の立ち姿が見えてしまうのです。
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