いー家 (2)

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「家型」という図像は古くから多くの建築家にとって特別な意味を持ってきたと思います。

合理的な形態、イマジネーションの源泉、慣習の象徴、引用するための記号、それに対する係わり方は一人一人皆違っているかもしれません。
ただ、多くの建築家が意識的にせよ無意識的にせよこの「家型」に少なからず係わってきたと思います。
そのため、「家型」という言葉を聞くと多くの建築家が頭に浮かんできます。ただ、その中でも真っ先に思い起こされるのはこの二人の建築家です。

一人はロバートベンチューリ。1960年代頃から活躍したアメリカの建築家です。
彼にとって「家型」は、それ以前のモダニズム建築が失ったポップなものが持つ豊穣さを取り戻すためのひとつの表象でした。
無味乾燥な均整の取れた四角いきれいな箱でなく、様々なイメージをまとった「家型」を選ぶ事で、それまでの行き詰った建築界に風穴を開けようとしたのです。
彼が言った「 Less is bore 」(少ないほど退屈) はミースの「 Less is more 」(少ないほど豊か)を皮肉ったものですが、よく彼の意図が読み取れる言葉です。

そしてもう一人は坂本一成。僕が敬愛した篠原一男の弟子でもあった建築家です。
彼もある時期「家型」を意識的に使っています。それを使ったのは凝り固まったそれまでの「建築」のルールを「さりげなく、しかし強烈に脱臼させるため。」僕にはそんな印象でした。
彼の作品は非常に象徴的で、僕の心に深く刻み込まれています。作風はその後変わっていきますが、彼の「家型」への意識の系譜は同じ大学の塚本由晴や藤村龍至に受け継がれていきます。

ロバートベンチューリや坂本一成は「家型」を単なる「暖かさ」の象徴として使った訳ではありません。
そこにまとわりついた様々な意味やイメージを意識的に利用して新しい表現を目指したのです。
ただ、それが可能だったのは「家型」の中に血の通った暖かな長い歴史があったからに他なりません。
これからも、その形は多くの建築家の意識の中に生き続けていくことでしょう。
(文中に登場する建築家は有名な方々なので、敬称は略させていただきました。)

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