美しさ(美)について語るなど、あまりにテーマが大きすぎるとは思いましたが、僕自身の若き日の思い出として少しだけこの事に触れてみたいと思います。
僕が始めて実際の住宅を設計したのは20代の後半でした。もちろん、設計事務所の中の一担当者という立場ではありましたが、基本計画から監理まで全てをほぼ一人でやらせてもらいました。
その後もいくつかの住宅を担当し、それぞれの物件に様々な拘りや熱い思いを詰め込み、自分なりの遣り甲斐や満足を感じていました。ただ、実作をいくつか作っていくうちに、どうしても気になる事が出てきたのです。それは、出来たものがいまひとつ美しくないのです。そして、僕自身のデザイン力の欠如(センスのなさ)が気になりだしたのです。本来「デザイン力」とはもっと広義な意味を含んでいますが、ここで言っているのは一般的によく使われる「見た目にかっこよく、きれいにまとめる力」の事です。その力のなさに気付かされたのです。当時の僕は外見をきれいに、かっこよくする事にはあまり関心はありませんでした。それは、学生時代から培われた「建築」に対する熱い思いが影響していたと思います。それは「建築」にとって重要なのはその中にある思想性であり、その宇宙観であって、表面をまとめるテクニック(技術)は取るに足らない些細な事、そんな思いの事です。しかし、実際に建築を作るには、窓一つの並べ方、バランスのとり方、部材の寸法の決め方、素材の選定等、全てに表面を取りまとめるテクニック(技術)が必要となってくるのです。それらをなおざりにしてきた僕の建築が垢抜けない、美しくないものになったのは当然といえば当然の結果だったのです。
そして、それから僕は「美しさ」を意識するようになったのです。
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