う・美しさ (2)

昔から僕はセンスの良い方ではなかったと思います。

この「建築」の仕事に関わらなければ、今でもそうだったと思います。否、今も本質的にセンスは良くないかもしれません。
ただ、「美しさ」を見る目は普通の人よりは持っているつもりです。それは「デザイン力」のない自分を思い知らされてから、建築を創る上で、「美しさ」を自分の中の大きなテーマと考えてきたからです。「美しい」ものを創るには「美しい」ものがわからなければなりません。建築、絵画、彫刻、陶芸、骨董、お茶、お花、演劇、映像、音楽、全ての中に「美しさ」があります。それらの中のレベルの高いものに接する事で真の「美しさ」を見る目が養われる、そう思い、その中の「美しさ」を探してきました。そうやってきたからこそ、普通の人より多少は「美しさ」に対する「目利き」であろうと思っているのです。

ただ、「美しさ」は非常に主観的なものです。多くの人が美しいと思っても、同じものを醜いと思う多くの人が存在するのも事実です。「美しさの目利き」そんな好みの世界を極めても無意味だと考える人も多い事でしょう。それでも僕は「その究極に人間の手は届かぬとも、近づく事は出来る。」そんな「究極の美」は存在する。そう自分で設定する事にしたのです。それはちょうどその道(美)を極めようとする多くの人が近づく中心の一点、そんなイメージです。極めれば極めるほど様々な人はバラバラでなくある一点に近づいてくる、しかし、決して触る事の出来ない一点。それが「究極の美」です。それを信じ込んでいるのではなく、それがあると設定して自分のモチベーションにしたのです。そして、それに少しでも近づければと思っているのです。もちろん、それは自分の心の中だけにある「真の美しさ」に他ならないのですが...

窓の配列も、部材寸法も素材もプロポーションも、それを決めるテクニック(技術)が必要です。
そして、そのテクニックの裏づけに「真の美」を知る感性と心があれば「究極の美」に近づいていける、そう自分で信じる事にしたのです。

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