く・けー空間・建築(2)

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ギーディオンという学者の「空間 時間 建築」という著作が初版されたのは今から80年程前になります。この中で彼は建築空間の発展を3段階に分け,3つの空間概念として要約しています。

第1の空間概念はエジプトやシュメル、ギリシャの建築における外部空間におけるボリュームの彫刻的な構成、第2の空間概念はローマ時代以降から19世紀頃までのくりぬかれた屋内空間としての内部空間の形成の中に見られると述べています。そして、第3の空間概念は20世紀以降の新しい建築空間と共に始まり、ここでは、より建築は彫刻に接近し、空間は相互貫入等の複雑な要素が導入されてきていると述べています。ただ、これらは主に西欧の建築空間について語られたことです。それなら、これらを日本の建築空間に置き換えてみるとどうでしょうか。

第1の空間概念と聞いて僕が思い浮かぶのは、やはり伊勢神宮でしょうか。「何事の おはしますかは 知らねども かたじけなさに 涙こぼるる」と西行が詠んだように、僕はその深き森の中に鎮座する崇高な姿に日本人としての魂が揺さぶられるような思いでした。もちろん内部には入っていませんので、その外部空間に圧倒されたのです。ただ、それはギーディオンのいうピラミッドのような彫刻的な構成に感動した訳ではなく、ブルーノタウトが指摘したパルテノン神殿との類似性に心を動かされた訳でもありません。それはただ、シンプルな白木の構成の純粋さと、鎮守の森との一体感が生み出す美しさの奥に、人智を超えた崇高なものを感じたからです。人間の力によって生み出された「美」ではなく、人間を超えた「美」を感じてしまった、といってもよいかもしれません。

そして、第2の空間概念と聞いて僕が思い浮かべるのは、待庵などの優れた多くの茶室や、吉島邸などの美しい民家達です。これらの建築はその決して広くない室内に小さな宇宙ともいえる美しい建築空間を内包しています。ただ、その宇宙はゴシックやバロック建築のように人間が物質をくり抜いて作り出した強固な室内空間ではなく、自然から与えられたような優しさを内包しているように思えます。それは人間が自然から力によって獲得したようなものではない、もっと受動的な柔らかさを持っている気がするのです。そして、そこに日本的な美しさを感じるのです。

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