「ロンシャンの礼拝堂」を見てから十数年後、僕は再び幾つかのコルビュジェ作品に出合うことができました。どれも魅力的な建築でしたが、別格だったのは「ラ・トゥーレット修道院」です。
その狭い修道院の個室に泊まり、食堂で食事を頂きました。朝は建物周りを散策し放牧された馬を眺め、森の息吹とその中に凛と佇む修道院の気配を肌で感じることができました。このすばらしい建築を実生活のように体感できたのは、まさに僕の建築家人生の宝物です。「ロンシャンの礼拝堂」と同時期に出来たこの作品は僕にとってどちらも甲乙つけがたい最高の「建築」です。「ロンシャンの礼拝堂」を動とするなら「ラ・トォーレット」は静、そんな印象を受けました。
「ロンシャンの礼拝堂」もそうですが、「ラ・トォーレット修道院」にはコルビュジェが以前から提言していた「モジュロール」という手法が随所に取り入れられています。「モデュロール」とは人体から導き出した寸法(226cm)を黄金比で割り込んで、建築の各部の寸法を決定していく手法です。近代建築の先頭に立ち、それをけん引していくためには感覚的、直感的なものだけでは足りません。コルビュジェにとっては「モデュロール」のようなマスメディアで拡散できる刺激的な言葉と手法が必要だったのでしょう。そして、「ラ・トォーレット修道院」はこれによって部屋の寸法や高さ、窓桟の割り付けなどが決定されているのです。僕が宿泊した個室の寸法もこれによって決定されているわけですが、そのスケール感はとても居心地の良いものでした。ただ、「モデュロール」という空間創作上の合理的なルールは、その刺激的な響きから非常に重要なもののように感じますが、それは「ラ・トォーレット修道院」を創り上げた源泉では決してなく、単なる枝葉のようなものだったと思うのです。この空間を創り上げたのは、建築家であり画家でもあったコルビュジェの長い創作活動の中で培われ出来上がってきた彼の感性そのものなのです。もちろん、クセナキスなどのスタッフや、修道院の名建築「ル・トロネ」の存在も大きかったと思うのですが...
多くの言説や理論を残して近代建築に大きな影響を及ぼしたコルビュジェですが、彼の本質は実は理論家ではなく、豊かな感性と直感力を持った一人の物作り(芸術家)だったような気がします。「ラ・トォーレット修道院」の施工中、コンクリート打設時の不備で窓が歪んでしまった時、彼はその開口部の上に「人間の手がここを通った」という銘を入れることを望んだらしいのです。陶芸家が焼き物の焼成時の偶然の美を愛でるように、彼もまたそんな「物作り」を楽しんでいたのかもしれません。
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