寂(さび)という言葉を聞くと、「わび・さび」という日本独特の美意識を表す言葉の一部と多くの人が思うかもしれません。しかし、どちらも昔からあった言葉ですが、「わび=侘」が茶の世界で極められていった美意識だったのに対し、「さび=寂」は俳句の世界で確立していった美意識です。
豪華で盛大な大名の茶会に対し、粗末で質素な「わび茶」の中にまさに侘しい美を見出す美意識が「侘」です。これに対し「寂」は俳句の世界の中で、古く経年劣化したものの中に生まれるまさに寂れた美を表しています。蕉門十哲の一人、向井去来は「寂」を老人が甲冑に身を固めて華々しく奮戦しても、そこに自ずからにじみ出る老いのようなもの、と言っています。九鬼周造は「いき」の構造の中で「いき」という概念を、「上品」ー「下品」、「派手」ー「地味」、「意気」ー「野暮」、「渋味」ー「甘味」という4組の対概念を頂点とする直六面体(直方体)の図形を使って論じていますが、その中で「さび」を「上品」「地味」「意気」「渋味」側の概念と捉えています。古びて朽ちた「さび」はもちろん派手ではなく甘くもないのですが、下品ではなく野暮でもないのです。
「さび」は「わび」と同じように、西洋美術における「華々しさ」や「生命力」に溢れた美しさではなく、儚く、物悲しく、朽ちていくものの中にある「美」を表しています。それは諸行無常といった諦念感にも通じていると思います。そうして、二つの似た言葉は一つとなり「わび・さび」という日本独特の美意識を表す言葉となったのです。
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