「金色」は現実とかけ離れた虚構性の象徴かもしれません。リアルな描写の中に「金色」を使う事で、現実と虚構の間にギャップが生まれ、そこに「間」のようなものを感じるのかもしれません。
白色の中、過剰なまでに金色を施した「ロマノフ」の空間は「金色」ゆえの虚構性を帯び、「おとぎの国」を作り出したのでしょう。それは、金閣寺や金の茶室にも通じるところがあるかもしれません。
日本には現実の世界で朽ちていくものに対する「侘び さび」という美意識がありますが、それとは違う「雅」という美意識もあります。現実的な穢れを剥ぎ取った上品で優雅な貴族的な美意識です。普通は金以外にも檜の白木や緋毛氈などが好まれる素材ですが、それを金一色にするところに、金閣寺や金の茶室には「雅」に届かない無粋さと、ある狂気のようなものを感じてしまいます。
「ロマノフ」もそれと同じような美意識で、そこに「おとぎの国」という虚構性を作ってしまったのでしょう。リアルさを完全に排除してしまえば、虚構との間に「間」は生じないのです。「妖しい」魅力は感じられないのです。逆に「ベルサイユ」では、彫りの深い陰影が強固なリアリティを作り出し、虚構性が薄まり、そこに「間」が生じていないのかもしれません.....
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