縁側のルーツは平安時代の「廂の間」である、そんな事を何かで読んだことがあります。
寝殿造りの「母屋」という中央空間の周囲を囲むスペース、それが「廂の間」です。
この当時は母屋も含め床は全て板張りだったのですが、これが長い建築様式の変遷の中で「縁側」という空間にたどり着いた、そんな内容だったと思います。
その真偽はともかく、「縁」が中央部分に対して周辺領域である事は確かでしょう。縁(えん)という文字が(ふち)や(へり)とも読める事は、そんなところからきているのかもしれません。
この縁(ふち)でもある縁(えん)は外部との接点ー縁(えん)を結ぶ場ーでもあり、内部中央と外部との中間領域ー緩衝地帯ーでもあるのです。家族のプライベートな領域を半分閉じつつ、ここを外部に開き、ここでスイカを食べながらお客と将棋を指し、庭先で花火をする。それが「縁側」のひとつの役割なのです。
色々な意味で外部との縁(えん)が乏しくなってきた昨今、縁(えん)があまり作られなくなってきたのは当然といえば当然の事なのかもしれません。
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