う・美しさ (2)2017.11.08

昔から僕はセンスの良い方ではなかったと思います。

この「建築」の仕事に関わらなければ、今でもそうだったと思います。否、今も本質的にセンスは良くないかもしれません。
ただ、「美しさ」を見る目は普通の人よりは持っているつもりです。それは「デザイン力」のない自分を思い知らされてから、建築を創る上で、「美しさ」を自分の中の大きなテーマと考えてきたからです。「美しい」ものを創るには「美しい」ものがわからなければなりません。建築、絵画、彫刻、陶芸、骨董、お茶、お花、演劇、映像、音楽、全ての中に「美しさ」があります。それらの中のレベルの高いものに接する事で真の「美しさ」を見る目が養われる、そう思い、その中の「美しさ」を探してきました。そうやってきたからこそ、普通の人より多少は「美しさ」に対する「目利き」であろうと思っているのです。

ただ、「美しさ」は非常に主観的なものです。多くの人が美しいと思っても、同じものを醜いと思う多くの人が存在するのも事実です。「美しさの目利き」そんな好みの世界を極めても無意味だと考える人も多い事でしょう。それでも僕は「その究極に人間の手は届かぬとも、近づく事は出来る。」そんな「究極の美」は存在する。そう自分で設定する事にしたのです。それはちょうどその道(美)を極めようとする多くの人が近づく中心の一点、そんなイメージです。極めれば極めるほど様々な人はバラバラでなくある一点に近づいてくる、しかし、決して触る事の出来ない一点。それが「究極の美」です。それを信じ込んでいるのではなく、それがあると設定して自分のモチベーションにしたのです。そして、それに少しでも近づければと思っているのです。もちろん、それは自分の心の中だけにある「真の美しさ」に他ならないのですが...

窓の配列も、部材寸法も素材もプロポーションも、それを決めるテクニック(技術)が必要です。
そして、そのテクニックの裏づけに「真の美」を知る感性と心があれば「究極の美」に近づいていける、そう自分で信じる事にしたのです。

TO

う・美しさ2017.10.30

美しさ(美)について語るなど、あまりにテーマが大きすぎるとは思いましたが、僕自身の若き日の思い出として少しだけこの事に触れてみたいと思います。

僕が始めて実際の住宅を設計したのは20代の後半でした。もちろん、設計事務所の中の一担当者という立場ではありましたが、基本計画から監理まで全てをほぼ一人でやらせてもらいました。
その後もいくつかの住宅を担当し、それぞれの物件に様々な拘りや熱い思いを詰め込み、自分なりの遣り甲斐や満足を感じていました。ただ、実作をいくつか作っていくうちに、どうしても気になる事が出てきたのです。それは、出来たものがいまひとつ美しくないのです。そして、僕自身のデザイン力の欠如(センスのなさ)が気になりだしたのです。本来「デザイン力」とはもっと広義な意味を含んでいますが、ここで言っているのは一般的によく使われる「見た目にかっこよく、きれいにまとめる力」の事です。その力のなさに気付かされたのです。当時の僕は外見をきれいに、かっこよくする事にはあまり関心はありませんでした。それは、学生時代から培われた「建築」に対する熱い思いが影響していたと思います。それは「建築」にとって重要なのはその中にある思想性であり、その宇宙観であって、表面をまとめるテクニック(技術)は取るに足らない些細な事、そんな思いの事です。しかし、実際に建築を作るには、窓一つの並べ方、バランスのとり方、部材の寸法の決め方、素材の選定等、全てに表面を取りまとめるテクニック(技術)が必要となってくるのです。それらをなおざりにしてきた僕の建築が垢抜けない、美しくないものになったのは当然といえば当然の結果だったのです。

そして、それから僕は「美しさ」を意識するようになったのです。

TO

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い ・ 家 (2)2017.10.13

「家型」という図像は古くから多くの建築家にとって特別な意味を持ってきたと思います。

合理的な形態、イマジネーションの源泉、慣習の象徴、引用するための記号、それに対する係わり方は一人一人皆違っているかもしれません。
ただ、多くの建築家が意識的にせよ無意識的にせよこの「家型」に少なからず係わってきたと思います。
そのため、「家型」という言葉を聞くと多くの建築家が頭に浮かんできます。ただ、その中でも真っ先に思い起こされるのはこの二人の建築家です。

一人はロバートベンチューリ。1960年代頃から活躍したアメリカの建築家です。
彼にとって「家型」は、それ以前のモダニズム建築が失ったポップなものが持つ豊穣さを取り戻すためのひとつの表象でした。
無味乾燥な均整の取れた四角いきれいな箱でなく、様々なイメージをまとった「家型」を選ぶ事で、それまでの行き詰った建築界に風穴を開けようとしたのです。
彼が言った「 Less is bore 」(少ないほど退屈) はミースの「 Less is more 」(少ないほど豊か)を皮肉ったものですが、よく彼の意図が読み取れる言葉です。

そしてもう一人は坂本一成。僕が敬愛した篠原一男の弟子でもあった建築家です。
彼もある時期「家型」を意識的に使っています。それを使ったのは凝り固まったそれまでの「建築」のルールを「さりげなく、しかし強烈に脱臼させるため。」僕にはそんな印象でした。
彼の作品は非常に象徴的で、僕の心に深く刻み込まれています。作風はその後変わっていきますが、彼の「家型」への意識の系譜は同じ大学の塚本由晴や藤村龍至に受け継がれていきます。

ロバートベンチューリや坂本一成は「家型」を単なる「暖かさ」の象徴として使った訳ではありません。
そこにまとわりついた様々な意味やイメージを意識的に利用して新しい表現を目指したのです。
ただ、それが可能だったのは「家型」の中に血の通った暖かな長い歴史があったからに他なりません。
これからも、その形は多くの建築家の意識の中に生き続けていくことでしょう。
(文中に登場する建築家は有名な方々なので、敬称は略させていただきました。)

TO

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い ・ 家2017.10.07

「家」という言葉には、建物や家屋、建築物といった言葉にはない様々なイメージや意味の衣がまとわり付いています。

それは、「建物」や「家屋」等の言葉が住むための器そのものの物質性を表すのに対し、「家」は器だけでなく、家族、家柄、家元等の言葉があるように、その中身も表しているためと考えられます。
そのため、器そのものを表すために「家」という言葉を使っても、そこにはどこかノスタルジックな血の通った暖かいイメージがまとわりついてきます。
「レンガの家」「丘の上の小さな家」「丸窓のある家」これらの言葉には誰もがメルヘンのようなものを感じてしまうのではないでしょうか。
しかし、これらの言葉の中の「家」を「建築物」に替えてしまったらどうでしょう。そのイメージはまったく違うものになってしまうのではないでしょうか。
メルヘンチックな暖かなイメージは消え、即物的な冷たいイメージだけが浮かび上がってくるのではないでしょうか。そして、その時頭に浮かぶ建物の形はどうでしょうか。
「建築物」の形は様々ですが、「家」と聞けば必ず三角屋根の付いた建物が頭に浮かんでくるのではないでしょうか。
「家」は四角い冷たい建物ではなく三角屋根の付いた暖かい建物、多くの日本人の頭の中にはそんなイメージがあるのではないでしょうか。
それは、古からの日本家屋の形がそんなイメージを作り出してきたからでしょう。

そんな家の形「家型」は建築の世界でも昔から多くの人達の関心を掻き立ててきたのです。

TO

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テーブルマークこども大会2017.10.01

将棋の大会に家族で来ています。
大きな大会ですが、こどもの将棋祭り(?)のようなイベントでもあります。
自由対局で3勝すれば駒形消しゴムがもらえるそうで、勝つ回数が増えれば、もらえる消しゴムも歩から桂馬、と順に強い駒がもらえるそうです。
それが目当てで、意気込んできた息子。
そこになんと、予定外のスペシャルゲストが現れました。
藤井聡太四段。初めてお目にかかりました。
しかし、子供達は対局席で待機中、ステージからの距離およそ150mも離れ、対局を見守る親に囲まれている状況。と、遠すぎる…
母は、君の替わりに最前列で目に焼き付けておきました。

YO

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サイエンスワールド2017.09.18

台風で3連休は雨、それなら屋内で。そう思い、昨日瑞浪のサイエンスワールドに行ってきました。

岐阜市の科学館は息子にせがまれ幾度となく足を運んでいますが、ここに行くのは初めてでした。
様々なサイエンスショーにワークショップ、朝10時から午後5時まで目一杯(息子が)遊ばせてもらいました。
もう少し近くにあったら、ちょくちょく行くのですが...

グッゲンハイム美術館を彷彿とさせる外観(?)それとは違うカラフルなインテリア。
設計は建築家の仙田満さんです。

TO

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あ ・ 明かり (4)2017.09.07

間接照明は雰囲気のある空間を作り出してくれます。ただ、それはどこか「虚飾に満ちた空間」という気がするのです。

間接照明をさんざん使いながらこんな事を言うのもどうかとは思うのですが、それが正直な心の声なのです。
光源からの光によって壁面や天井面がほのかに光る。そんな幻想的な雰囲気を作り出す反射光による照明形式に何故虚飾性を感じてしまうのでしょうか。
窓ひとつないトンネルのような真っ暗な廊下の突き当たりの壁面を、側壁の突き当たりに作ったスリットからの外光で照らすと、ちょうど間接照明で照らした様な感じになります。
ただ、そこに虚飾性は感じません。それは何故なのでしょうか。たぶん、その光が電球からの人工の明かりではなく、太陽からの自然の光だからそれを感じないのでしょう。
つまり、間接照明に虚飾性を感じてしまうのはその「現象」そのものではなく、その裏にある設計意図の中に「あざとさ」のようなものを感じてしまうからなのでしょう。
「過剰な演出」、「過剰な作為性」そんなものを感じてしまうからなのでしょう。
「形態は機能に従う。」とは機能主義の有名な言葉ですが、そんな言葉や日本家屋の合理性、機械や工場等の即物性に魅力を感じてしまう僕の好みが間接照明の中に虚飾性を感じてしまう一因なのかもしれません。

虚飾を感じる間接照明。ただ、それを封印してしまうつもりもありません。
それは建築というものは常にどこかで「虚飾」を内包していると思うからです。
あたりまえの事ですが、建築は決して即物的な究極の機械ではないのです。

TO

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中身2017.09.02

今日、久しぶりにメディアコスモスに行ってきました。

猪熊純さんという建築家の講演があったからです。
猪熊さんは建築本体はもとより、その中身に深く係わっていかれる建築家です。
建築で何がやれるか、どんな新しいものがつくれるか、興味ある話を色々聞かせてもらいました。

会場になったこのメディアコスモスも、伊藤豊雄さんがその中身について深く係わった建築です。
このすばらしい建築は今日も大変な賑わいでした。

TO

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あ ・ 明かり (3)2017.08.27

僕は素朴な明かり(照明)が好きです。

シンプルなフロアースタンド、壁に取り付いた裸電球、虚飾のないペンダント。
これらの明かりは素朴で、ひょっとすると「チープ」かもしれませんが、「豊か」です。
そんな豊かな光(明かり)に包まれた空間を作りたいと思っています。
ただ、そんな照明を使う事もありますが、僕が実際多く使う照明はダウンライトやスポットライトです。最近では間接照明も増えています。
ダウンライトやスポットライトは機能性や経済性に優れているだけでなく、その単純明快なフォルムにより空間に余分な「雰囲気」を発生させない事も、その選択の理由のひとつかもしれません。
ただ、間接照明を使うのはまったく別の理由からです。ここで言う間接照明とは周知のごとく、光源を直接見せずに壁面や天井面などに光を反射させる形式を指しています。
この照明形式を使うのは「リッチ」な空間を作る、そんな下心からかもしれません。高級ブティック、高級車のショールーム、おしゃれなクリニック、それらには必ずと言ってよいほど「間接照明」が付いています。
天井から吊下げられた裸電球が作り出す「チープ」だが「豊か」な空間ではなく、ただただ「リッチ」な空間を作り出しています。
最近これを使う機会が増えてきたのは、クライアントが望む空間イメージが大きく関わっているのは確かですが、「一度使うと病み付きになる」そんな間接照明の魔力が原因かもしれません。

ただ、「間接照明を使い過ぎ。」「安易に空間を演出し過ぎ。」そんな心の声が最近聞こえてくるのです。

TO

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夕焼け2017.08.27

昨日、久しぶりに「焼肉屋」へ行ってきました。

「焼肉屋」へ行くのは本当に久しぶりです。若い頃は結構いきましたが...10年ぶりくらいでしょうか...
そこの駐車場からの夕日がとてもきれいでした。その「光」を見て、帰ってからブログで書いていた「明かり」の続きを書かなくては...と思い出しました...

TO

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色々な生き物2017.08.11

先週海でキツネに出会ってから、その後も色々な生物達と出会いました。
家のもみじで捕まえたクマゼミ。息子の夏休みの自由研究用に捕まえた微生物達。息子が捕ってきたイモリ。
子供の頃の夏休みの記憶も蘇ってくるようです...

TO

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論田川の微生物2017.08.11
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水槽の微生物 (2)2017.08.11
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水槽の微生物2017.08.11
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赤腹いもり2017.08.11
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2017.08.07

週末、家族三人で日本海へ行ってきました。

砂浜に面したキャンプ場には原発の建物がすぐそこに迫っていましたが、眼前には美しい日本海が広がっていました。
海で泳ぐのは何年振りでしょうか。何十年ぶり?ほんとうに久しぶりです。海二度目の息子はテント設営も一切手伝わず、海に直行です。
蟹やヤドカリ、ヒトデを捕まえ、しょっぱい海水を味わいながら、風の強い日本海を泳ぎました。

夜、消えかけた焚き火台の傍で一人で酒を飲んでいると、足の悪い一匹の野性のキツネがやって来ました。先の白い太い尻尾、尖った耳、まさにキツネです。
残っていた焼き鳥、食べかけのチーズをキツネが驚かない様にそっと投げてやりました。
野生の動物への餌やりは良くない事かもしれません。でも、足の悪い彼(?)には人間からの餌が貴重な命綱かもしれないし...

満月に近い青白い月明かりの下で、野生のキツネへ餌をやったのはもちろん初めてです。幻想的な貴重な体験でした。

TO

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地鎮祭2017.07.31

今日、ON邸の地鎮祭に行ってきました。
昨年の年初めに改装の計画が始まって、本日地鎮祭を迎える事ができました。
古い鉄筋コンクリート造2階建ての約90坪程の大規模な改装工事となります。
安全第一、無事に工事が進むようにお祈りをして、お盆空けから本格的に工事が始まります。
良い空間になるように、来年初めの竣工まで頑張っていきたいです。

YO

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これから長良川花火大会2017.07.29

本日は、長良川花火大会です!
13時の車両規制前に場所取りをしてから、長良橋のたもとで川遊びをして時間を潰しております。
父と子はライフジャケットを装着して、プカプカと楽しそう…
私というと、足だけ川に浸かり折畳み傘を差して涼んでいます。来年は、水着でも着てくるかな。

開始まであと5時間…

YO

一級建築士事務所 内川建築設計室 岐阜・愛知・三重を中心に夫婦で建築設計事務所を営んでいます。