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科学の祭典2017.12.16

「青少年のための科学の祭典2017」に参加するため、今日は息子を連れて、久しぶりに岐阜市科学館へ行ってきました。
3週間前に行ったサイエンスフェスティバルより小規模でしたが、息子はいつもどおり、工作を満喫したようです。
原発の廃棄物処理関係のブースもあり、僕も少しだけ勉強になりました。

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ご褒美2017.12.14

天井の木梁の塗料を決めに、急遽ON邸の現場へ行ってきました。
月曜日に行ったばかりなのに...まあ、竣工近くになるとよくある事ですが...

現場へ行ってみると、壁と天井に塗る白い漆喰の下塗りが終わったところでした。
漆喰は今まで結構使ってきましたが、今回使ってある下塗り材は初めてです。
「なかなかいい風合いですね。」そう言って、監督さんに塗った下塗り材の種類を教えてもらいました。
「いつか仕上げに使えるかも。」そう思いながら現場を後にしました。

ちょこちょこ現場へ行っていると、たまにこんなご褒美がもらえます。

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オスモ2017.12.11

今日もSS邸で壁の配筋検査をした後、ON邸の現場へ行ってきました。

家具に張る杉板の順番を決め、それに塗る植物性の塗料(オスモ)の色を決めてきました。
事務所でも杉板で試し塗りも試みましたが、やはり実際に張る杉板で試した方が確実です。
監督さんや職人さんに少しお手間を取らせてしまいましたが、何とか決める事ができました。
いつもは木に色付けすることはあまりないのですが、今回は例外です。

いい雰囲気になってくれれば良いのですが...

TO

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SS邸配筋検査2017.12.11
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白色2017.12.07

今日もON邸の現場へ行ってきました。

写真は1階の壁に塗る白色塗装の色見本です。
「白色、白色」と単純に言っても、建築現場で完璧な純白を使う事はあまりありません。
実際は赤味、黄味、黒味などの色がごく僅かに含まれています。
これらの割合の違いで「白色」も無限に調合可能なのです。
いつもは室内に塗る白色は「日塗工の~番と~番を1対2」「~メーカーの~番」等と決めているのですが、今回はシステムキッチンの扉の白色が決まっていた事、天井に調湿のために白色の漆喰を塗った事などで、それらの白色に馴染む白色を作る必要があったのです。

何度も何度も色見本を作って頂き、満足できる「白色」がやっと決まりました。

TO

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SZ邸2017.12.07

SZ邸 アップしました。

完成引渡しが4月25日、写真撮影が半年後の11月3日、ホームページアップがその1月後の12月6日。
いつも遅くなってしまいますが、よろしかったらご覧ください。

TO

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型枠2017.12.03

今日は快晴。

息子を一宮の将棋教室に連れて行った後、ちょっと考えたい事があり、SS邸の現場へ行ってきました。
道路に面した外壁コンクリートの型枠が立ち上がり、なんとなく雰囲気も立ち上がってきたような感じです...

TO

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2017.11.30

今日はON邸の現場で天井に張る杉板の選別をしてきました。

広い部屋の中のわずか8㎡程度の天井ですが、大事な部分です。というか、全ての部分が大事なのですが...
監督さんに手伝ってもらいながら、色合い、節の程度などを見極めながら選んできました。

TO

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冬の夕日2017.11.20

今日は SS邸 の配筋検査の後、津島の ON邸 に行ってきました。
12月下旬の気温と聞いていたので、今シーズン初めてのセーターを着ていきました。
津島からの帰りは、いつも長良川の堤防を走ってきます。
オレンジ色に染まった夕暮れの川面は、既に冬の装いでした。

TO

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2017.11.20

ON邸改装現場

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2017.11.20

SS邸現場

う・美しさ (3)2017.11.17

「美しさ」「美」について客観的に語ろうとすると、その領域はあまりに膨大です。

「美」がその対象そのものの中にあるのか、それとも自分の心の中にあるのか、そんな哲学的な問から考え始めなければならないかもしれません。
他にも、宗教における美、道徳における美、歴史における美、人間の容姿における美等々、「美」は芸術以外の様々な分野からも語る事はできるでしょう。
しかし、ハクシキ(薄識)な自分にはとても叶わない事ですし、その根性もありません。そこで最後に昔ある人から聞いた「美」に関する話を一つだけご紹介したいと思います。

「美という漢字は羊と大から出来ている。つまり、昔の人にとって大きな羊(ご馳走)が美しかった。それが美だった。」そんな話でした。
それって、食料が乏しい時代は食べ物が一番美しい....「花より団子」という事になるのでは....ある意味「美しさ」を否定しているような....
それとも、「美しさ」「美」は食糧不足の時代のご馳走に匹敵するくらい大事なもの、そんな意味にもとれるし....

「大きな羊は胃袋に、美しさは心に美味しい栄養素。」
テーマが大きく重いので、軽く標語風にまとめて終わりにします。

TO

う・美しさ (2)2017.11.08

昔から僕はセンスの良い方ではなかったと思います。

この「建築」の仕事に関わらなければ、今でもそうだったと思います。否、今も本質的にセンスは良くないかもしれません。
ただ、「美しさ」を見る目は普通の人よりは持っているつもりです。それは「デザイン力」のない自分を思い知らされてから、建築を創る上で、「美しさ」を自分の中の大きなテーマと考えてきたからです。「美しい」ものを創るには「美しい」ものがわからなければなりません。建築、絵画、彫刻、陶芸、骨董、お茶、お花、演劇、映像、音楽、全ての中に「美しさ」があります。それらの中のレベルの高いものに接する事で真の「美しさ」を見る目が養われる、そう思い、その中の「美しさ」を探してきました。そうやってきたからこそ、普通の人より多少は「美しさ」に対する「目利き」であろうと思っているのです。

ただ、「美しさ」は非常に主観的なものです。多くの人が美しいと思っても、同じものを醜いと思う多くの人が存在するのも事実です。「美しさの目利き」そんな好みの世界を極めても無意味だと考える人も多い事でしょう。それでも僕は「その究極に人間の手は届かぬとも、近づく事は出来る。」そんな「究極の美」は存在する。そう自分で設定する事にしたのです。それはちょうどその道(美)を極めようとする多くの人が近づく中心の一点、そんなイメージです。極めれば極めるほど様々な人はバラバラでなくある一点に近づいてくる、しかし、決して触る事の出来ない一点。それが「究極の美」です。それを信じ込んでいるのではなく、それがあると設定して自分のモチベーションにしたのです。そして、それに少しでも近づければと思っているのです。もちろん、それは自分の心の中だけにある「真の美しさ」に他ならないのですが...

窓の配列も、部材寸法も素材もプロポーションも、それを決めるテクニック(技術)が必要です。
そして、そのテクニックの裏づけに「真の美」を知る感性と心があれば「究極の美」に近づいていける、そう自分で信じる事にしたのです。

TO

う・美しさ2017.10.30

美しさ(美)について語るなど、あまりにテーマが大きすぎるとは思いましたが、僕自身の若き日の思い出として少しだけこの事に触れてみたいと思います。

僕が始めて実際の住宅を設計したのは20代の後半でした。もちろん、設計事務所の中の一担当者という立場ではありましたが、基本計画から監理まで全てをほぼ一人でやらせてもらいました。
その後もいくつかの住宅を担当し、それぞれの物件に様々な拘りや熱い思いを詰め込み、自分なりの遣り甲斐や満足を感じていました。ただ、実作をいくつか作っていくうちに、どうしても気になる事が出てきたのです。それは、出来たものがいまひとつ美しくないのです。そして、僕自身のデザイン力の欠如(センスのなさ)が気になりだしたのです。本来「デザイン力」とはもっと広義な意味を含んでいますが、ここで言っているのは一般的によく使われる「見た目にかっこよく、きれいにまとめる力」の事です。その力のなさに気付かされたのです。当時の僕は外見をきれいに、かっこよくする事にはあまり関心はありませんでした。それは、学生時代から培われた「建築」に対する熱い思いが影響していたと思います。それは「建築」にとって重要なのはその中にある思想性であり、その宇宙観であって、表面をまとめるテクニック(技術)は取るに足らない些細な事、そんな思いの事です。しかし、実際に建築を作るには、窓一つの並べ方、バランスのとり方、部材の寸法の決め方、素材の選定等、全てに表面を取りまとめるテクニック(技術)が必要となってくるのです。それらをなおざりにしてきた僕の建築が垢抜けない、美しくないものになったのは当然といえば当然の結果だったのです。

そして、それから僕は「美しさ」を意識するようになったのです。

TO

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い ・ 家 (2)2017.10.13

「家型」という図像は古くから多くの建築家にとって特別な意味を持ってきたと思います。

合理的な形態、イマジネーションの源泉、慣習の象徴、引用するための記号、それに対する係わり方は一人一人皆違っているかもしれません。
ただ、多くの建築家が意識的にせよ無意識的にせよこの「家型」に少なからず係わってきたと思います。
そのため、「家型」という言葉を聞くと多くの建築家が頭に浮かんできます。ただ、その中でも真っ先に思い起こされるのはこの二人の建築家です。

一人はロバートベンチューリ。1960年代頃から活躍したアメリカの建築家です。
彼にとって「家型」は、それ以前のモダニズム建築が失ったポップなものが持つ豊穣さを取り戻すためのひとつの表象でした。
無味乾燥な均整の取れた四角いきれいな箱でなく、様々なイメージをまとった「家型」を選ぶ事で、それまでの行き詰った建築界に風穴を開けようとしたのです。
彼が言った「 Less is bore 」(少ないほど退屈) はミースの「 Less is more 」(少ないほど豊か)を皮肉ったものですが、よく彼の意図が読み取れる言葉です。

そしてもう一人は坂本一成。僕が敬愛した篠原一男の弟子でもあった建築家です。
彼もある時期「家型」を意識的に使っています。それを使ったのは凝り固まったそれまでの「建築」のルールを「さりげなく、しかし強烈に脱臼させるため。」僕にはそんな印象でした。
彼の作品は非常に象徴的で、僕の心に深く刻み込まれています。作風はその後変わっていきますが、彼の「家型」への意識の系譜は同じ大学の塚本由晴や藤村龍至に受け継がれていきます。

ロバートベンチューリや坂本一成は「家型」を単なる「暖かさ」の象徴として使った訳ではありません。
そこにまとわりついた様々な意味やイメージを意識的に利用して新しい表現を目指したのです。
ただ、それが可能だったのは「家型」の中に血の通った暖かな長い歴史があったからに他なりません。
これからも、その形は多くの建築家の意識の中に生き続けていくことでしょう。
(文中に登場する建築家は有名な方々なので、敬称は略させていただきました。)

TO

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い ・ 家2017.10.07

「家」という言葉には、建物や家屋、建築物といった言葉にはない様々なイメージや意味の衣がまとわり付いています。

それは、「建物」や「家屋」等の言葉が住むための器そのものの物質性を表すのに対し、「家」は器だけでなく、家族、家柄、家元等の言葉があるように、その中身も表しているためと考えられます。
そのため、器そのものを表すために「家」という言葉を使っても、そこにはどこかノスタルジックな血の通った暖かいイメージがまとわりついてきます。
「レンガの家」「丘の上の小さな家」「丸窓のある家」これらの言葉には誰もがメルヘンのようなものを感じてしまうのではないでしょうか。
しかし、これらの言葉の中の「家」を「建築物」に替えてしまったらどうでしょう。そのイメージはまったく違うものになってしまうのではないでしょうか。
メルヘンチックな暖かなイメージは消え、即物的な冷たいイメージだけが浮かび上がってくるのではないでしょうか。そして、その時頭に浮かぶ建物の形はどうでしょうか。
「建築物」の形は様々ですが、「家」と聞けば必ず三角屋根の付いた建物が頭に浮かんでくるのではないでしょうか。
「家」は四角い冷たい建物ではなく三角屋根の付いた暖かい建物、多くの日本人の頭の中にはそんなイメージがあるのではないでしょうか。
それは、古からの日本家屋の形がそんなイメージを作り出してきたからでしょう。

そんな家の形「家型」は建築の世界でも昔から多くの人達の関心を掻き立ててきたのです。

TO

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テーブルマークこども大会2017.10.01

将棋の大会に家族で来ています。
大きな大会ですが、こどもの将棋祭り(?)のようなイベントでもあります。
自由対局で3勝すれば駒形消しゴムがもらえるそうで、勝つ回数が増えれば、もらえる消しゴムも歩から桂馬、と順に強い駒がもらえるそうです。
それが目当てで、意気込んできた息子。
そこになんと、予定外のスペシャルゲストが現れました。
藤井聡太四段。初めてお目にかかりました。
しかし、子供達は対局席で待機中、ステージからの距離およそ150mも離れ、対局を見守る親に囲まれている状況。と、遠すぎる…
母は、君の替わりに最前列で目に焼き付けておきました。

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サイエンスワールド2017.09.18

台風で3連休は雨、それなら屋内で。そう思い、昨日瑞浪のサイエンスワールドに行ってきました。

岐阜市の科学館は息子にせがまれ幾度となく足を運んでいますが、ここに行くのは初めてでした。
様々なサイエンスショーにワークショップ、朝10時から午後5時まで目一杯(息子が)遊ばせてもらいました。
もう少し近くにあったら、ちょくちょく行くのですが...

グッゲンハイム美術館を彷彿とさせる外観(?)それとは違うカラフルなインテリア。
設計は建築家の仙田満さんです。

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一級建築士事務所 内川建築設計室 岐阜・愛知・三重を中心に夫婦で建築設計事務所を営んでいます。