木造の天敵 (2)2015.09.04

最近の木造住宅の多くがそうであるように、僕が設計した木造住宅の基礎は全てベタ基礎です。

つまり、一階の床下は分厚いコンクリートになっているのです。そのため、シロアリが土中より進入するためにはコンクリートの基礎の立上り部分を登ってこなくてはなりません。そのためシロアリはそこに蟻道と呼ばれる土のトンネルを作り、湿度の高い快適なその中を集団で上り下りして、餌の木を食べていくのです。シロアリによる食害が急激に起きるとは考えづらいですので、蟻道などの兆候を見つけてから処理を考えても良い気もします。特に被害が多いといわれる玄関や勝手口などの地面に近い木部や、外周部をたまに点検すれば十分な気もします。

ただ、ベタ基礎でも内部からの進入は皆無ではありません。配管の穴や、僅かなヒビなどからも容易にシロアリは進入してきます。そして、僕の住宅では採用していませんが、基礎の外断熱は最悪です。基礎に張られた断熱材の中をシロアリは自由に行き来し、発見も難しいのです。これらの場合、ハネアリや床などの木部の異常によって気付く事になるわけです。その時、食害がどれだけ進んでいるのか.....

5年に一度の専門家の調査と処理は行った方がより確かな事は明らかです。ただ、15~30万円程掛かるその費用が保険として高いか安いかは、なかなか判断のしづらいところです.....

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成虫2015.08.29

吹く風が冷たく感じ夏の終わりを感じる時期になりました。今日は4月にブログに登場した5匹のカブトムシの幼虫達のその後をお伝えします。

息子が名付けた”かぶとくん” ”さむ” ”はなちゃん”は6月に皆一斉に蛹化しました。息子が名付けた通りに”かぶとくん” ”さむ” はオス。”はなちゃん”はメスでした。蛹になるとオスはツノが伸びてきてわかります。通常、幼虫の時に土の中で蛹室を作り、蛹になり羽化し成虫になって出てくるまで、性別を知る事はないのですが、土のコンディションが悪かったのか、みな土の上で蛹になってしまいました。ようやく幼虫に慣れて愛着の湧いてきた頃、まだ土の上にいるから蛹になるのもまだ先だと油断していた矢先、突然に土の上でかりんとうの様なカリっと揚がった蛹になっていた驚きを、どういえば伝わるでしょうか。。。慌てて人口蛹室を作り、仕事中の夫に頼み込み、蛹達を人口蛹室に移動して貰いました。しかし、6月に中旬に羽化する予定がいつまで経っても羽化できずに、後から蛹化した”まるちゃん”(オス) ”としおかぶと”(メス)が羽化し、お亡くなりになったのだと察しました。息子は大いに悲しむかと思いきや、成虫になった”まるちゃん” ”としおかぶと”にもう夢中で『あっそうなの』という感じです。私は死なせてしまった事と蛹になった姿を『ひぃぃっ』となって、受け入れてやれなかった事が未だに胸の奥に鉛の玉となってありますが。悲しむ私に息子が『大丈夫。メスがいっぱい卵を産んでくれるからね!』と、声を掛けてくれました。

”としおかぶと”はメスだった為、”としこさん”に改名しました。この”としこさん” 実は一番遅く蛹化した為、家族を心配させていたのですが、成虫になると凄く元気でガツガツしていて、オスの”まるちゃん”を圧倒するぐらい生命力に溢れていました。息子はこの”としこさん”が大のお気に入りで私が『オスとメスどっちが好き?』と質問すると『メス!だっていっぱい卵を産むでしょ!』との事。その2匹も7月に亡くなりました。その後、引越しするお友達のカブトムシを3匹頂き、”2代目としこさん””めすこ””おすおさん”と名付けて飼い、”おすおさん”も先日亡くなり、今は2匹のメス達が残された夏を精一杯生きてます。メス強し!

写真はありし日の”としこさん”です。

YO

木造の天敵 (1)2015.08.25

「シロアリについてお話します。」そう書きましたので、ちょっと間が空きましたが、知っている事を少し書いてみたいと思います。

白蟻による食害は木造にとって脅威ですが、食害を起こす主な白蟻のうちヤマトシロアリは北海道の一部を除く日本全国に生息しています。特に怖いと言われるイエシロアリは西日本より南にしかいませんでしたが、最近は温暖化の影響でしょうか、東京など東日本の一部でも見られるそうです。

木造を新築する時、地上1mまでの木部を防蟻処理するのは昔から常識でした。水分を多く必要とするヤマトシロアリやイエシロアリは土からあまり離れられないと考えられるため、地上1mまでの処理を行うのです。浴室部分の基礎を高くするのもひとつにはその理由もあります。ただ、近年環境への影響を考え処理用の薬剤の毒性が弱まり、昔は10年続いた薬剤の効果が今は5年程度と言われています。まあ、5年であれ10年であれ、その後は常にシロアリの恐怖に曝されるわけです。

以前、「ハネアリが出た。」と昔僕が建てた家の方から連絡があり、シロアリ駆除業者を紹介した事があります。僕も同行して調査した結果、構造部は無傷でしたが、玄関の木部のごく一部がシロアリにやられていました。「念のため、薬剤散布などの防蟻処理をお願いします。今後5年に一度は同様の処理をお願いしようと思っています。」虫を極端に嫌う奥さんがそう話されました。まあ、虫が好きでも、シロアリが出れば誰でも気持ち悪いでしょうが.....

TO

 

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お盆2015.08.14

毎年のお盆休みは主人の実家へ帰省しますが、今年はお盆休み前に帰省したため、今年は私の実家のお墓参りに同行して来ました。

お参り前にお墓やお仏壇の御供えにおはぎを息子、私、母、叔母の4人でこしらえました。息子は泥遊びの要領で楽しく取り組んでいます。ご先祖様も美味しいと仰ってくださるね。そんな事を話ながら近しい人とのひとときを過ごしました。

YO

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伊自良川2015.08.08

夏休みです。息子と伊自良川へ遊びに行ってきました。気温35℃を上回る猛暑でしたが、山に囲まれた谷合のこの川は、とっても涼しかったです。

YO

建物の寿命 (6)2015.08.04

木造の構造的な限界年数も、もちろん、はっきりとした事を言う事はできません。1300年の法隆寺は別格としても、日本には多くの古い木造建築が今なお生き続けています。ただ、現代の木造建築がそれらと同様に長持ちするのかは、ちょっと疑問です。

木造の構造的な限界を決定付けるのも、やはり水分です。これによって木は腐り、その強度を落としていくのです。これを遠ざけ、理想的な乾燥状態を保てば、木は半永久的に生き続けるかもしれません。

 適度な水分、温度、酸素があれば、木は腐朽菌に侵されてしまいますが、これらのうちひとつでも取り除いてやれば、木は腐りません。昔から木場などで木を水中で保管するのは酸素を絶つためです。水に浸ければ木は腐ってしまいそうですが、完全に水中に没していれば適度な酸素がないため腐朽菌が繁殖せず、木はいつまでもその美しい姿を保つ事ができるのです。しかし、実際の住宅では木を水にずっぽりと浸けておく事等不可能ですので、逆に水分を減らす事が木を長持ちさせるのに一番有効な方法となるのです。ここでいう水分とは雨水と湿度の事です。雨水を防ぐのは当然ですが、現代では防湿フィルム、透湿防水フィルム、通気層等で壁内の湿度を下げる事は常識となっています。それらによって木材を乾燥させ、長持ちさせようとしているのです。

ただ、古い木造建築にはそんなものはありませんでした。雨水を防ぐ深い軒、柱や梁などの骨組みをそのまま表に現す真壁工法、調湿性の高い土壁、これらがそれに代わり水分から木を守り、永い命を与えていたのです。そして、現存する多くの古い建物はその柱や梁等が現代のものよりもずっと太かった事も、それが生き永らえた大きな要因だったと思われます。構造的に余力があれば、多少部分的に腐ったとしても十分な強度が確保されていたのでしょう。

経済性のため柱を細くし、それを隠し、透湿層などの新しい工法で壁内の湿度を調整する現代の建物が、今後どれだけ生き延びる事ができるのかはわかりません。ただ、その中から第二の法隆寺が生まれる事はもうないのかもしれません。

ところで、雨水を防ぎ湿度を抑える事は、もうひとつの木造の天敵シロアリにも有効です。この厄介な小さなゴキブリについては、また今度お話したいと思います。

TO

建物の寿命 (5)2015.07.30

鉄骨造の構造的な限界年数はどれくらいでしょうか。

これについても、やはり、はっきりとした事は言えません。鉄そのものは水分さへ防げば、半永久的に長持ちします。雨水の浸入を防ぎ、防錆処理が完璧であれば、ALC版などの壁そのものは別として、骨組みである鉄骨そのものはいくらでも長持ちするはずです。しかし、現実はそうでもありません。実際、財務省の減価償却資産の耐用年数表によると、住宅ではRC造47年、木造22年のところ、ある鉄骨造は19年となっています。ある鉄骨造とは、鉄骨の肉厚が3ミリ以下の建物の事です。ちなみに3~4ミリは27年、4ミリ以上は34年となっています。この数値は平均寿命などとは違い、建物の構造別の耐用年数をある方法で推定して出したもののようです。この数値が現実とかけ離れたものである事はすぐにわかりますが、肉厚3ミリ以下の鉄骨造が木造よりも長持ちしないと判断されている事は確かなのです。

以前、鉄骨造のリノベーションを手掛けた折、外壁下地の鉄骨の悲惨な状態を目の当たりにした事があります。使われていたCチャン(C型の軽量鉄骨。正式名リップ溝形鋼)が数箇所部分的に消失していたのです。つまり、錆びてボロボロになり、細かくなって下へ落ちていたのです。ほとんどの部分は無傷で、あっても表面的な錆程度でしたが、ごく一部がほんとうにひどい状態だったのです。もしちょっとした地震が起きていれば、外壁の一部が落下していたのは間違いないでしょう。原因はもちろん雨水の浸入と思われますが、内部結露も鉄骨にとっては大きな脅威となります。ここで使われていたCチャンは厚みが1.6ミリか2.3ミリのものだったと思いますが、薄い鉄骨は錆び始めるとすぐにこんな状態になる危険性があるのです。耐用年数表の19年という数字も、ある意味うなずける数字とも言えそうです。

ただ、最近は防錆処理の質も格段にアップしていますので、昔のような事はないでしょう。まして、重量鉄骨のような肉厚の厚いものを骨組みに使っていれば、なおさらです。とは言っても、鉄骨の最大の敵が水分であることは間違いありません。これによって鉄骨造の構造的限界年数は大きく減じられてしまうのです。

TO

 

 

 

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長良川花火大会&鵜飼2015.07.26

土曜日に長良川の花火大会に家族で行ってきました。
これからの季節、岐阜や周辺地域では毎週末毎にどこかの川で花火が上がります。私達は会場に足を運んだり、家の屋上から遠花火を眺めたりと、この時期を毎年楽しみにしています。今回は知り合いの方のお誘いで、なんと鵜飼の屋形船から花火を観賞する事になりまた。私は岐阜生まれの岐阜育ちではありますが、鵜飼観覧船に乗るのは始めてです。嬉しくて、この日は昼過ぎには会場付近に到着し、長良川沿いを観光する事にしました。
長良橋から鵜飼ミュージアムへ向かう途中に鵜匠さんのお宅を発見。(屋号の表札が立っていて、わかります。) 先日、NHKで長良川鵜飼の特集番組を見ていた私と息子は、鵜匠さんと鵜が一緒に住んでいる事は勉強済みだったので、庭先に鵜がいないかと門の隙間から覗き見。すると喫茶店が併設されていて庭に面しています、、、これはと思い入ってみると、喫茶店から鵜匠宅のお庭の様子が一望できる様になっていました。テレビで特集番組を見ていた息子は『あーくんも鵜と一緒に住みたい。飼う。』と仕切りに言っていた程だったので大喜びです。写真は庭先に出て、鵜を観察していた時の様子です。写っていませんが、数十匹の鵜と猫2匹が住んでいました。
夕方には学生時代の友人が大阪から家族で花火見物に来てくれて、数十分ですが、再会を果たせてとても嬉しかったです。彼女にそっくりの次女ちゃん。旦那さんにそっくりの長女ちゃん。お二人を程よく合わせたような長男くん。感慨深いものがありました。お互い母になりましたね。
乗船時間になり、対岸の見物客や屋台の賑わいを眺めながら船が気持ち良く進みます。暗くなると花火と鵜飼の始まりです。花火に気をとられていると鵜舟があっという間に前を通り過ぎてしまいます。実に忙しい。。。とはいえ、間近で見る鵜飼はスピード感があって迫力がありました。闇に溶けるような装束を身に纏い、舟の先端で真っ赤なかがり火の火の粉をあびながら、水に濡れて黒光りする鵜の群れを操る姿は、さながら魔法使いのよう。それほどまでに幻想的でした。

YO

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3連休2015.07.20

今日で3連休も終わりです。連休はあまり遊ばず、いつもは結構仕事をします。でも、今回はいつもとちょっと違っていました。

土曜日は昼間から息子の幼稚園の先生と一緒にザリガニ捕り。夕方からの園の夏祭りで使うカニが不足しているため、急遽必要になったとの事。童心に返り、何十匹も捕まえました。幼稚園の先生も女性なのに大漁でした。さすがです。

夕方からは夏祭り。子供と一緒に、ザリガニでなく弁慶蟹を釣って持ち帰りました。また我が家に家族が増えました。

夜は20年以上会っていなかった東京の友人と焼き鳥やで一杯。久しぶりのネギマ、旨かった。

日曜は午後から改装希望のお客さんが訪ねて来られ、妻と一緒に打合せ。それから二人でSY2邸の奥さんのグループ展に行ってきました。写真と織物と陶芸、ジャンルの違う3人の作品が今は亡き玉田さんという建築家の自邸に展示されていました。4つの作品がひとつの空間を創り出し、ゆったりとした時間が流れ、ついつい長居をしてしまいました。

その帰り、「メディアコスモス」へ寄ってきました。さすがは伊藤豊雄。すばらしい建築でした。

そして、今日は知り合いの小さな男の子を1日預かっていました。息子はおにいちゃん風を吹かし、妻はお母さん風を吹かし、僕も少しだけお父さん風を吹かしました。

仕事のほとんど出来ない、楽しい3連休でした。

TO

建物の寿命 (4)2015.07.15

それでは、RC造の構造的な限界は何年ぐらいなのでしょうか。

結論から言えば、はっきりとした事は言えないという事です。中性化した部分にある鉄筋が錆びるのは、そこに酸素と水分があるからですが、それらがどれだけそこに供給されるかは、コンクリートの状態やそこの環境によって大きく変わるのです。中性化が早く進行すると言われる室内側にクラックが入っていても、水分の供給は少ないため、錆の進行も遅いでしょう。また、外部では中性化が進んでいなくても、クラックからの大量の雨水の浸入によって錆が大きく進行する事も考えられます。そして、60年と言われているコンクリートの中性化が鉄筋まで進む時間も、その表面の仕上げによって大きく変わるのです。例えばタイル張りをすれば10ミリ程度かぶり厚(鉄筋までのコンクリートの厚み)が厚くなったと考えられるため、鉄筋まで中性化が進むのには100年以上掛かることになります。(これは中性化の厚みは経過した時間の平方根に比例するため、1センチ厚くなっても大きく時間が延びるためです。)

話がどんどん細かくなってしまったので、この辺でまとめてしまいます。

今までの話はRC造の構造的な限界年数といっても、コンクリートの中性化との関係についてだけでした。しかし、実際のコンクリートの劣化速度を決めるのは他にも水セメント比等のコンクリートそのものの質や施工状況、メンテナンスの度合いや立地条件など、様々な要因が関係してきます。ですから、RC造の構造的な限界年数など一概にはわからないのです。ただ、ノーメンテナンスのコンクリート打ち放しに60年住まわれた方は、ちょっと注意が必要かもしれません。

TO

 

 

建物の寿命 (3)2015.07.10

前に、「コンクリートは50年持つか。」「500年持つコンクリート」等、コンクリートの耐久性について少し触れた事がありますが、実際RC造は構造的にどれだけ持つのでしょうか。

RC造の構造的な耐久性を語る時、一番良く触れられるのは中性化の問題です。内部の鉄筋を錆びさせないアルカリ性のコンクリートが大気中の二酸化炭素で徐々に中性化し、鉄筋が錆び、コンクリートとの付着力が下がったり、錆びに拠る膨張でコンクリートが爆裂して強度が落ちる。これが中性化による強度低下の仕組みです。もちろんクラック等があれば進行も早いですが、それらがなくても確実に表面から中性化は進んでいくのです。

鉄筋はコンクリートの表面からおおよそ30ミリ程度のところに入っています。この付近まで中性化が進行するのに掛かる時間は一般的なコンクリートでほぼ60年と言われています。これをもって、RC造の寿命は60年とされる事もありますが、これが構造的な限界年数という事でもありません。何故ならコンクリートが中性化したからといって、すぐに鉄筋が錆び始めるわけではありません。そして、中性化したコンクリートはそのためだけで強度が落ちる訳ではないのです。

中性化によって言われている寿命60年というのはRC造の賞味期限のようなものかもしれません。本来コンクリートが持っているアルカリ性という優れた機能が失われ、ちょっとした事で鉄筋が錆び始める、そんな状態になるまでの時間を表しているのです。

TO

建物の寿命 (2)2015.07.06

「建物の平均寿命が~年。」と言われる時、それは平均的に建物がどれだけ物理的に長持ちするのか、どれだけ安全に住み続ける事が可能なのか、その年数を表した数字ではありません。構造的に問題がなくても、様々な理由で壊されていく建物の平均的な築年数を表しているのです。どれだけ住めるかではなく、これだけ住みましたという結果の数字なのです。サイクル年数や減価償却耐用年数なども算定方法は違っても、決して建物の構造的な限界の耐久年数を表した数字ではないのです。日本の建物の平均寿命が短いのは欧米よりも早く建物を壊してしまうからなのです。

何故、そうなのでしょうか。もちろん、日本の住宅の構造的な(物理的な)質の悪さが大きな原因のひとつであった事は事実でしょう。しかし、スクラップ&ビルドを良しとした高度成長期の価値観や核家族化等、住宅の物理的な問題とは別の要因も大きく関係していると思われるのです。ある調査によると、住宅は小さいほどその平均寿命が短いそうです。つまり小さいものは新しいニーズに応えられず、早く建て替えられる可能性が高いのです。日本の住宅のサイクル年数の30年は人の世代交代のサイクルでもあります。子供が出来、ローンを組み家を建てる。そして、30年後にその子供が再び家を建てる時、人は考えます。「改造して2世帯住宅にするために、水廻りや外部を直すと結構お金が掛かるし、建て替えようか。それとも新たに家を建てて、同居するか別居するか。別居なら、親は手間の掛からないマンションにでも引っ越してもらったほうが良いかもしれない。」こうして古い家はその生涯を終わらされてしまうのです。こんな30年サイクルのスクラップ&ビルドは、真逆な価値観による伊勢の式年遷宮も思い出させてしまい、ちょっと複雑な気持ちになります。

いずれにしても、建物に手を加えながら永く住み続ける、そんな欧米の遣り方(昔の日本の遣り方)が戦後の日本では行われていないという事なのでしょう。ただ、これからはどんどん新築率が下がりリノベーションが増え、建物の平均寿命が延びていくのは間違いないでしょう。

TO

 

 

 

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鉄道カフェ2015.07.02

7月1日。来年度の幼稚園入園願書の受付のため、幼稚園がお休みでした。友達のお母さんが企画してくれて、柳ヶ瀬にある鉄道カフェへ行ってきました。同級生の男の子ばかり、総勢9組の親子が集まり、さながら幼稚園のようです。

我が子のテンションがふり切れて制御不能になる事、しばしば。。。貸切だったため、多少の騒ぎは大目に見てもらいながら、親子共々とても楽しい時間が過ごせました。よほど楽しかったのか、帰り道の車の中で、『明日も行きたいっ!行くっ!』と言い張っております。私『行けるといいね~』あえて否定はしません。

お店で男の子の生態を観察しながら、やはり男女の違いを噛み締めてしまいますね。

YO

 

7月
7月 森のようちえん2015.06.29

7月の森のようちえんに息子と参加してきました。

この日は爽やかな風が吹き抜ける良いお天気の中、お昼の食事作りのお手伝いをちょっとだけさせて頂きました。火を熾し、薪をくべるお父さん達。火の傍にいるだけでも、熱風で暑い、熱い。。。毛穴から一気に汗が噴き出します。茹でたウィンナーとトウモロコシとキャベツをお湯からあげるだけでも忍耐を要する熱さです。まさに苦行。暑さのあまり木陰にはいると、冷蔵庫に入ったように涼しくて、森の冷気に驚きました。森は涼しい!これ程、体で感じる事は今までなかったです。

食事の時間になると子ども達が炉に集まってきて、パン焼き開始です。午前中に『森の親』さん達が発酵させたパンの生地を竹に巻き付け、じっくりまわしながら焼き上げます。火の正面に陣取ると熱いので、炉の背後から棒をかざします。それでも時折吹く風に舞い上がる灰や煙にめげそうです。『おいしくなーれ!おいしくなーれ!』一人が言い出すと周りのお友達も口ずさみ、大合唱です。その姿は自分自身を励ましている様にもみえました。

自分達で焼いたパンを美味しそうに頬張り、おかわりする我が子。頑張った甲斐がありました。

写真は”ちくわ”ではなく”パン”です(笑)

YO

 

 

建物の寿命 (1)2015.06.26

先日、以前リノベーションを手掛けたお客さんが訪ねて来られました。「妻の実家を改装したいと思っています。また、こんなお話で申し訳ありませんが.....」ほんとうに少し申し訳なさそうにお話になるお客さんに、僕は即座にお答えしました。「もちろん、喜んでさせて頂きます。」

改築は新築に比べ遣り甲斐は確かにありますが、ほんとうは少し面倒な所もあります。でも、そんな事よりも、以前やったお客さんからの再依頼は喜びが2倍です。それは以前の仕事を評価してもらっている何よりの証だからです.....

ところで、最近は何故か改装の話ばかりが続いています。欧米に比べ圧倒的に新築率が高い日本も少しずつリノベーションが増えてくるであろう、以前からそう思っていました。ただ、その兆候がほんとうに感じられるようになってきました。

「日本の住宅の寿命は欧米に比べ圧倒的に短い。」そう言われてきました。「サイクル年数 日本30年、アメリカ103年、イギリス141年」「平均築年数 日本30年 アメリカ55年 イギリス77年」「住宅の減価償却耐用年数 RC47年、木造22年、鉄骨19~34年。」様々な数字が目に飛び込んできます。それらの値がどれだけ確かなものなのか、僕にはわかりません。ただ、欧米の住宅に比べ日本の住宅がかなり短命な事だけは確かなようです。「日本の住宅の寿命は30年、アメリカは100年。その差はシロアリ対策の違いです。」どこかでそんなシロアリ処理業者の広告を見た事もありますが、それはまっかな嘘でしょう。しかし、日本の住宅の平均寿命が短い事だけは真実なのです.....

TO

 

 

棟持柱 (3)2015.06.21

伊勢神宮の式年遷宮に関する行事に行った事はありませんが、以前、諏訪大社の御柱祭りを見に行った事があります。神社に建てる17mの巨大なご神木を運ぶその勇壮な祭りの迫力は圧巻でした。本来は神聖な祭りも今では皆が楽しむ「お祭り」となっています。それでも、それが営々と続いてきたその底には、神聖な「木」に対する深い思い入れがあった事は間違いないでしょう。

伊勢神宮の式年遷宮も同じです。持統帝以来1300年余り続くこの行事にも、清らかな檜の素木に対する深い思い入れを感じる事ができます。式年遷宮について三島由紀夫はその著書の中で、「オリジナルはその時点においてコピーにオリジナルの生命を託して滅びてゆき、コピー自体がオリジナルになるのである。」と述べています。建築家の磯崎新はそれを「始源のもどき」と呼び、「そこには常に始源の前に起源があるかの如き騙りがひそんでいる。起源が‘‘隠され’’ようとする。むしろ始源が起源を虚像のように浮かばせてしまうのだ。」と述べています。つまり、始源(最初の式年遷宮)の前に起源(日本的なる原型)があったと思わせる「罠」であると論じているのです。コピーをくり返す事でそれは朽ちる事なく永遠に行き続けると同時に、その起源もいくらでも昔に遡れるような錯覚を起こさせるのです。

こうして、神聖な社殿ははるか昔からの永遠の命を与えられたのです。そして、いつまでも朽ちぬ檜の棟持柱も未来永劫無垢で清らかなまま、神聖な存在として生き続けるのです。

TO

棟持柱 (2)2015.06.17

水平の棟木を支えるテントの支柱のような棟持柱は、室内の中心軸上にあるので、ちょっと邪魔です。そして、大きな建物を建てようとすれば、棟持柱はどんどん大きなものが必要になってきます。そのため、この棟持柱は建築の歴史から少しずつ消えていくのです。

しかし、神社建築などでは今もそれを見る事ができます。特に伊勢神宮の外部に飛び出した独立棟持柱は有名で、その存在感のある太い柱は大変魅力的です。このめずらしい特徴的な柱を持つ建築形式が何時どうして生まれたか、はっきりとした事はわかりません。独立棟持柱を持った弥生時代の高床式の穀倉がその原型だったとも言われています。穀倉は当然雨水を嫌いますので、妻側(屋根が三角に見える側)の屋根を大きく外に張り出すため棟木を延ばし、それを受ける独立棟持柱が必要になったのです。この穀倉を象徴的に模したのが伊勢神宮の原型と考えれば、めずらしいこの柱の存在もうなずけます。

ただ、伊勢神宮の太さ80センチの巨大な檜の柱は確保するのも大変ですが、運搬や施工も昔から大変な作業だったはずです。それを式年遷宮の度に営々と繰り返し続けた事実は、この柱に対する思いがいかに強かったかを物語っています。

太古の昔から木そのものをご神木として敬ってきた日本人にとって、この巨大な素木(しらき)の柱は中心に建つ神の依り代である心御柱(しんのみはしら)に匹敵するくらい、大変重要なものだったのかもしれません。

TO

 

棟持柱 (1)2015.06.13

国土の三分の二が森林の日本において、木造建築が昔からずっと主役だったのは当然の事といえるでしょう。

もし、数人の仲間で離れ小島に漂着し、そこで家を作る必要に迫られたとしたら.... 石を割って石斧を作り、木の幹や枝を伐採するでしょう。大き目の2本の木を垂直に地面に埋め込み、その上に出来るだけ真っ直ぐな木を水平に乗せ、細い枝を地面から斜めに掛けて、草や葉っぱで被って三角屋根を作る事でしょう。地面に埋め込む木は、枝分かれした部分を上端に使えばYの字になり、水平の木が据えやすくなります。固定には木の蔓などを使えばよいでしょう。少し広い空間を作りたいのなら、最初に床を掘り下げて、掘った土で廻りに小高い壁を作ればよいでしょう。そうすれば、雨水も防げそうです。

これは所謂縄文時代の竪穴式住居です。斜めの木が垂木、それを掛ける水平材が棟木、そして、それを受ける2本の掘っ立て柱が棟持柱と呼ばれています。実際の竪穴住居は穴の深さも様々で、2~3メートルの、まさに竪穴と呼ばれるのにふさわしいものまでありました。大きさも200㎡を超える巨大なものもあったようです。そして、立てられる柱も2本、3本、4本、5本...と様々です。

ただ、2本の棟持柱の形式が、一番プリミティブな家の原型をイメージさせてくれるのではないでしょうか。それはまるで草と木から出来たテントのようです。

TO

 

 

一級建築士事務所 内川建築設計室 岐阜・愛知・三重を中心に夫婦で建築設計事務所を営んでいます。